丹哥府志は舞鶴市市場の今の八幡神社を奈具神社に比定している。 創立年代等は不詳であるが口伝によれば白糸浜は北海鎮護の要港にて往昔厳島より市杵姫大神が白糸浜の東市市場宮ノ谷に鎮座され専ら海上の守護神として海鎮明神と尊称されていた、中世市杵姫大神のご神託により宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより八幡神社と称するようになった。 |
八幡大神市姫神社由緒 当神社の祭神は誉田別尊、市杵姫大神を奉祀し市杵嶋姫大神と称せられたり。古老の口伝に依れば、創立の年代等不詳なれど、白糸浜は北海鎮護の要港なり。往昔厳島より市杵姫大神白糸浜の東市場宮ノ谷の御碕に鎮座され、専ら海上の守護神として、御神威赫々たり。奇瑞霊験を蒙る者少なからず大神を海鎮明神と尊称されていたが、中世市杵姫大神の御神託により、宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより御神験益々高まり神徳輝きいつしか諸人 八幡神社と称するようになった。 爾来繁栄続きたるも、応仁の乱の頃戦禍に依り衰微せるため天正年間中市場城城主逸見駿河守これを嘆き、神殿を修造さる。慶長年間田辺城主細川越中守特に当神社を敬し海防の神として神田を寄進し、11月8日の御火焚神事を復古せられたり。 元文4年11月11日領主牧野家大内御殿より木造鳥居を御寄進あり。天命2年5月26日領主牧野豊前守棟梁として神殿を御造営せらる。 明治30年正月市場の青年団結し、石鳥居を奉納する。 明治32年1月28日八幡神社市杵姫神社の額字を正三位油小路隆薫氏より寄進あり、現在の石鳥居の題字なり。 大正2年10月24日神饌幣帛供進及び合計法適用に指定せらる。 大正13年敦鶴線工事により境内の一部を買収されたる為、境内の拡張工事を起こし、氏子一同の寄進に依り大正13年7月に現在の境内が完成する。 社頭掲示板 |