福田神社
ふくだじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】福太神社 丹波国 何鹿郡鎮座

   【現社名】福田神社
   【住所】京都府綾部市大島町穴見37-38
       北緯35度18分7秒,東経135度13分33秒
   【祭神】埴山比賣神
   【例祭】10月10日 例祭 11月上旬日曜日 例祭
   【社格】
   【由緒】延喜年間(901−23)年に創立
       寛永14年3月17日(1638)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

当社を式内福太神社に比定する説がある。
明治初年式内社指定の際一応問題になったが、上八田の福太神社が指定された。


福田神社

祭神 火産霊神 埴山比売神
この神社は延喜年間(901−23)年に創立されたと伝えられ、昔この地が志麻郷と呼ばれた頃から約1000年を経て現在まで氏神として崇敬祭祀されてきた。
現社殿は寛永14年3月17日(1638年)大志万勝兵衛景次によって造営されたが、350余年を経て、いたみが激しくなったため、平成6年8月社殿修復覆屋改築を完成した。
境内社、六社のうち岡の森神社、梅の森神社、和田の森神社、大川神社は古くから村の各所に守護神として祀られていたが、江戸時代末期から明治初年にかけて現在地に転祀ざれた。
平成6年10月
福田神社社中

社頭掲示板



福田神社

祭神 火産霊神 埴山比売神
由緒沿革
延喜式に何鹿郡十二座の中に福太神社(福田神社とあるものもある)があるので、明治初年式内社指定の際一応問題になったが、上八田の福太神社が指定されたのであった。
昔から木曾殿神社の祭神を木曾義仲とするのに対し、この神社をその妾巴御前を祀ると云う俗信がある。社殿は寛永14年3月、大志万勝兵衛景次によって造営されたもので、その時の棟札が残っている。
社倉蔵
福田神社の境内に入った右側に神庫に並んで手前に小さい庫がある。これが即ち社倉の籾蔵で、前掲佐藤信渕が農村振興法の一つとして指導した泉源法の社倉蔵で、飢饉に備へての籾種の保存と、貸籾による利殖に利用する籾蔵である。この蔵は村々にあったが、現在残っている唯一のものである。

中筋村誌



福田神社

大島町中公会堂から南へ参道が延び、山麓に福田神社が鎮座している。
【由緒】創建は不明であるが、かっての志麻郷の氏神であったかと伝えられる古社で、大島町の産土神として崇敬されてきた。
【祭神】次の二柱を祀る。火産霊神は火の神、防火の神であり男神である。埴山比売神は土の神、田畑の神で女神である。
【伝承】当社は昔から「母乳の神様」とされ、戦前までは出産後母乳に悩む人が、地元は勿論遠方からも参拝していた。参拝者は本殿南側の格子の女性の彫り物を削って持ち帰り、煎じて飲めばお蔭があるとされていて、そのため彫り物は削り取られて殆ど元の形がなくなっていた。
本殿の改修の際、南格子には女性の彫り物が復元されている。
【社殿】本殿は三間社流れ造りで、屋根は桧皮葺きであったが、現在は銅版葺きである。棟札によれば寛永14年(1637)大志万嘉兵衛京正、勝兵衛景次父子が曝主となり造営された。中筋地区の各神社社殿の内では最も古い建物である。なお、平成5年に屋根など社殿の傷みが大きかったので、同6年9月改修した。
【境内社】次の神社がある。稲荷神社は、森下12番地に鎮座していたが由良川堤防と広域農道の用地となったため、平成4年10月福田神社の境内に移転遷座した。祭神は宇迦能御魂神であり、天保15年(1844)伏見稲荷大社より勧請された。社殿は享保16年(1731)の建築である。梅の森神社は、能楽の名家梅若氏ゆかりの神社で、梅津氏が崇敬した京都梅津村の梅宮大社から勧請し氏神として祀ったと伝えている。元は岩鼻1番地に鎮座していたが、明治初年福田神社境内に移された。祭神は猿田彦命である。岡の森神社は、岡の段に祀られていたが、明治初年福田神社境内に移されて境内社となった。祭神は若産霊神である。大川神社は、かって山麓に沿って流れていた川のほとりの穴見に鎮座していたが、明治初年福田神社境内に移された。祭神は大山祇神である。和田森神社は、由良川近くの和田に祀られ松の大木があったといわれているが、明治初年福田神社境内に移された。祭神は綿津見神である。大将軍神社は、桶井の大嶋湊の近くに祀られていたと伝えられるが、度重なる由良川の洪水により社殿が流失したと考えられる。そのため平成13年9月、京都・西賀茂の大将軍神社より勧請して境内社として鎮座した。祭神は磐長姫命である。疫神社は、疫病除けの神で須佐之男命を祀っている。
【石造物】当社みこし倉の前に立つ大石灯篭は、高さ2,6m、幅1.1mの規模の大きなもので江戸時代の建立とされている。本殿への石段左にある手水鉢は、文化4年(1807)奉納の銘がある。
【主な神事】1月元旦祭、2月祈念祭、4月秋葉神社祭、7月夏祭、10月秋祭、11月山の神祭、12月稲荷神社祭、神渡式などの神事を大島町の氏子会で護持している。

丹波綾部の中筋歴史散歩




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