天平9年(737)諸国に天然痘が大流行し、農民達も多く罹病したため、朝廷は諸国に令して神社建立をすすめた。この時八田郷・吉美郷の人々も社殿を造営して、もと高城山の山丘にあつた神をまつて平癒を斫願したのが鎮座の由来だという。 |
由緒 社伝 天平九年(737年)諸国に痘瘡が大流行し万民が苦しんだので、八田郷、吉美郷の人々が相はかり、社殿を造営して平癒を祈ったという。 江戸時代まで当社に接して別当寺薬王山海蔵寺があって、本地仏薬王をまつり薬王大菩薩と称したという。 秋の大祭には、テンテコテンで有名な「太刀振り」と「太鼓おどり」が奉納される。室町末期に源流をもつ神事がよく伝えられているもので、綾部市の無形文化財に指定されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
島万神社 社伝に、天平8年疱瘡が流行し、翌年(737)疫病平癒祈願のために本社を勧請したとしている。現在も安産、病気平癒の神として崇敬されている。祭礼は10月10日に行われ、氏子中から太刀振りと太鼓踊りが奉納される。これらは中世末期に流行した風流踊りを伝える物であって、昭和60年京都府の無形文化財に登録されている。 平成6年3月 綾部市教育委員会 社頭掲示板 |