佐須我神社
さすがじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐須我神社 丹波国 何鹿郡鎮座

   【現社名】佐須我神社
   【住所】京都府福知山市私市宮ノ下25
       北緯35度19分15秒、東経135度11分6秒
   【祭神】武速須佐之男命 (配祀)稻田宮主神 稻田宮主簀狹之八箇耳
       『神名帳考証』彦狭島命

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の由緒不詳
       応仁・文明の乱で焼失
       明治2年式内社指定
       明治6年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明流造
       拝殿・神輿庫・社務所

   【境内社】

私部は律令制時代に、皇后のために置かれた部民で、この地はは古代の皇室領であった。
古代は私部郷の氏神で中世まで大田部荘の川北・戸田・石原・上・前田・土師を含む七ケ村の郷社であつたが、応仁・文明の乱後神社は焼かれ、社領は没収されて衰えた。


佐須我神社

由緒 何鹿郡延喜式内十二座その一として、太古は天田郡雀部庄川北村、戸田村、石原村、土村、前田村、土師村及び私市村の七ヶ村の郷社にして参拝常に絶えず。しかるに応仁年間国家相乱の為、地頭の変遷年に改まり、社領没収、神官も絶家し、神庫等灰儘に帰す。依て古書伝記等なく唯口碑の存するのみ。
祭日 往古より陰暦九月十日をもって祭典式を挙行す。行事は村吏奉幣使として参内、神饌料を供進す。
神興の渡御は同神社内休憩所までで、摂社八幡神駄及び鳴神天神籔神鉾と共に佐須我神裡に渡御せり。茲において神饌を御供、祝詞を奏上し、玉串を奉納す。而して摂社八幡神社へ神幸あり、直に還幸ありて式を了る。
往時は前記七ヶ村と共に、同日鳴神天神社に集合して大祭典を執行したりしに、何れの噴からか不明なるも之を廃せり。その年代詳かならず。しかし今尚旧跡を存するもの、同社の鋳に大馬場、馬出し、的場、燈明田等歴然として小字名が残っている。祭日を太陽暦に改むとある。

福知山史



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