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今も小字名に「高倉」があり、律令制時代にここに食料などを保管する高蔵が建立されていたのか、その由緒から社名がつけられたものと思われる。 |
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由緒 社頭掲示板より 物部村誌には、大字西坂小字宮ヶ嶽に鎮座、祭神は武内宿禰であって年月は不詳であるが共延喜以前の創設である。初めは宮ヶ嶽の頂上に祭ってあったのを中古現地に遷し祭ったものであるという。物部村宛の指令は次のとおりである。何鹿郡第三区西坂村「其村鎮座高蔵神社延喜式内に相違無之今般詮議決定候条此旨相達候事」明治10年6月京都府とあり、社名(号)については、「新訂増補国史大系延喜式」には、高蔵神社(タカクラカミノヤシロ・タカクラカムヤシロ)の二種類乃訓がつけられており、中院家本には「高蔵神社」と訓は空白となっている。社名のいわれはわからないが、今も小字名に「高倉」があり、律令制時代にここに食料などを保管する高蔵が建立されていたのか、その由緒から社名がつけられたものと思われる。 今の御社殿は、南方に聳える宮ヶ嶽の麓に東面して建つ。本社の本殿は、棟札から、享保14年(1729年)九月吉辰に建立されているが、これは多分再々建であろうと考えられる。当社の特異神事として社伝記録に「源頼光が大江山の鬼退治の際、大江山山系が一望できるこの高蔵神社に参詣し、諸願成就の上は再度参拝すると祈宣し、その前兆として、鬼射の神事を執り行ったと云う。今にこの神事が3月28日の脇宮、八幡宮社の例祭りの日に神事として執行されている。それは、長さ一尺幅三寸の薄い杉板の1枚に、鬼の字を書き、別の1枚の杉板には、左馬の字を書き、各々を庭中に建てた的の上につるし置き氏子中の両親がそろった3人の男子児童が半弓を以て先に鬼の字を次に左馬の字を射抜かしむ。」(社伝記録文書より)とある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
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高藏神社 創立 再建等 不詳なれども延喜以前の創祀と考えられる。 往古より宮ヶ嶽の頂上に祀りしを中古現在地に遷し祀りしものなると言う。 毎年の国司役人の参詣の際急峻のために度々落馬することなどもあり。この地に遷し祀ったとも云い伝えられている。 社頭掲示板 |