赤国神社
あかくにじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】赤国神社 丹波国 何鹿郡鎮座

   【現社名】赤国神社
   【住所】京都府綾部市舘町宮ノ前72-1
       北緯35度19分43秒、東経135度12分57秒
   【祭神】瓊瓊杵尊 天宇受売命 猿田彦命
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       正和3年(1314)9月8日銘の銅製の鳳凰あり
       天正年間(1573−92)近衛前久天の橋立見物の途中当社に一泊
       慶長5年(1600)兵火により類焼

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは稻葉山の屋根続きにある宮の段に祭られていた
        古代のある時期に現在地に遷座した

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿権現造
       拝殿・土藏・社務所

   【境内社】
   【神宮寺】楞嚴寺(真言宗)

「赤国神社々記」(明治23年1月)によると、同社は丹波国に未だ神社が建立されていない神代(大和朝廷時代か)から既に祭祀されており、丹波国なので丹国神社と称された。祭神が瓊瓊杵(ニニギ)命(別名日丹仁命)であつたから「丹」の字を用いるのはおそれ多いので改名した。


赤国神社

祭神 瓊々杵尊、猿田彦命、天宇須女命
丹国社のちに赤国社と記し、稲葉山の宮の段に奉祀されていたという。慶長5年の兵火により類焼、什宝記録を焼失した。
江戸時代の初期まで旧暦8月の十日祭に梅若太夫の能楽が奉納されたという。宝物(文の鳥)は神輿に附する銅製の鳳凰で、「正和三年九月八日下司源光高」の銘を有し、当社の由緒を物語る市指定文化財、境内発見の八稜鏡は藤原朝の作である。
大正年間、当社近隣で石斧、鉄滓、土器 の発見は、当地方考古学研究の先駆となった。
指定文化財
綾部市指定文化財 文の鳥

社頭掲示板



赤国神社

赤国神社由緒
1.鎮座地 稲葉野山続にあり神代より鎮座の地平地也 往古より宮の段と云来たり其の後現在地宮の前に遷座され現在に至る
1.郷社式内赤国神社由来
古老の云伝に神代に瓊瓊杵尊御巡幸の節宮を造り給い暫く御滞在され村を館と名付と云へり 往古は丹波国一社の神故に丹の国の社と云う
古き物にも丹国と書たるもあり又瓊瓊杵尊御諱(尊の御本名のこと)丹仁の尊と申奉るつき恐多に付赤国社と書換るとも云説あり
赤国社は境内東西28間(56m)南北34間(68m)の廊郭の旧跡あり是より推測せば上古は実に尊大なる神社にて歴々の神官ありて奉祀する
1.祭神
右殿 猿田彦大神
中殿 天津彦彦火瓊瓊杵尊
左殿 天鈿女命
右三神を祭社也 日本三所に祭在社とも云説あり
又近衛龍山公丹後の国天の橋立参詣の路次旧社の故実旧記を御尋に有御一宿され帰京の後朝廷より直に正一位の位号を被下正一位赤国大明神の額を寄附被下置候と申侍現在拝殿正面に掲示
外に摂社二座 境内二神社
稲葉神社大明神 祭神 素戔嗚尊 旧鎮座地稲葉野山に祭在
稲荷神社大明神 祭神 倉稲魂命 旧鎮座地字永泉山に祭在(館の森)
琴平神社 祭神 大物主命
於保加牟豆美神社 祭神 於保加牟豆美命
1.文化財
旧器物一種今に残り有 御神輿頂に在る鸚鵡鳥也俗に文の鳥と云銅器也 銘に正和3甲寅9月8日(1215鎌倉時代)下司源光高作
又、天保7年4月(1857)文政時代京都■■大隅守栄嗣と云者吉田家の命を承り社殿改築此の三殿を造有祭神如前相違無く弘川氏曰く当赤国社は神代より鎮座の地なり

社頭掲示板



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