伊也神社
いやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊也神社) 丹波国 何鹿郡鎮座

   【現社名】伊也神社
   【住所】京都府綾部市広瀬町伊神14-3
       北緯35度18分4秒、東経135度19分8秒
   【祭神】大日靈売尊 月夜見尊 素盞嗚尊
       『神名帳考証』大屋彦神

   【例祭】10月10日 秋祭
   【社格】旧村社
   【由緒】崇神天皇10年創立
       天正年間(1573−92)兵火で焼失
       文化7年(1810)10月現在地に移転新築
       明治3年11月山家陣屋は全焼し類焼焼失
       明治4年再建
       明治6年式内社認定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初甲ケ峰の麓に鎮座
        文化7年(1810)10月現在地に移転新築

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「稻荷社」と称していた
   【社殿】本殿流造瓦葺
       拝殿

   【境内社】

崇神天皇の10年に、道主命が丹波国何鹿郡に来て、甲ケ峰の麓(広瀬町の北側裏山の伊也ケ谷〈伊神〉、標高356mの東端、湧水のある小平な所)に宮殿を建立し三神を祭つた。道主命の薨去後伊也神社を勸請したという。


伊也神社

祭神 大日霊貴尊、素盞鳴尊、月読見尊
崇神天皇の御代丹波道主命この地に先臨し給い、甲ヶ峯の麓に宮を築き祀られたのが初で後伊也神社を勧進し何鹿郡延喜式12座の一に数えられている。
天正年中火災により焼失その跡を御社(ごしゃ)と呼びおりしが文化7年(1810)10月従二位清原宣光公願成就により現在地盤座の清地に御本殿を移転新築された社である。
明治3年類焼翌年再建昭和55年修復す。
綾部市観光協会

社頭掲示板



伊也神社

中世になつて豪族和久氏が、伊也ケ谷の山頂に城を築き、同社を崇敬したが、天正年間(1573-92)に大火にかかつて焼失した。その後近世初期山家藩谷氏の領地時代に、廣瀬町に郷社八幡神社を建立し、さらに安永7年(1778)9月山家陣屋内に谷氏の祖靈谷靈(コクレイ)神社を建立して、領主はこの二社を崇敬した。伊也神社は、山家陣屋の郭外に祭られて、「イナリ神社」と読み間違へたのか、稻荷社と呼ばれ、廣瀬町でも忘れかけてゐた。しかし同社の旧宮跡を御社と称し、神聖地と崇敬してゐた。明治3年11月に山家藩庁の厩屋より火が出て陣屋は全焼し、その類焼で伊也神社(稻荷社)も焼失したが、明治4年に現在地に再建された(宮大工綾部延村桑原直右衛門.位田村鹽見嘉兵衛建立、棟札による)。明治10年6月、京都府より延喜式内社に決定された。

式内社調査報告



式内社四級社 伊也神社

 祭神:大日霊貴尊・素盞鳴尊・月夜見尊 広瀬町城山1413 境内:2313平米
 祭日:旧九月十六日 伝説に崇神天皇十年丹波道主王この地に光臨し給う。王の薨後伊也神社を勧請するという。始め伊也ケ谷(伊神)の奥の御社に祀ったが、天正八年(1580)に火災にあい現在地に遷す。
 谷藩では伊也神社を稲荷神社と読んでいたらしいが、延喜式巻第十に丹波国何鹿郡の十二座の内の一社に記され、式内社として明瞭である。旧地には三抱え余りの樫の古木が残っている。
 幣箱の蓋裏書に「寄附文化7痍午年(1810)冬十月七日従二位清原宣光謹書」とあり箱内には祈祷書があって「開化天皇 仁應九代 垂仁天皇十一代 景行天皇 行丹波道主之王也丹波国何鹿郡山家庄甲峯三神天照太神、素蓋鳴尊 月夜見尊守護神諸神達 助計給比守利給辺上祈祷申(たすけたまひまもりたまえあげいのりもうし)事謹美々々申寿(ことつつしみ々々もうす)文化7庚午年(1810)冬10月7日 寄附奉納願成就 印 従二位清原宣光謹書印印」と、書かれている。
明治庚午年(1870)11月、山家藩庁失火により類焼する。明治4辛末年吉祥日再建の棟札あり。昭和55年大本教祭主となって改築が行われた。

山家史誌



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