鎮座地の背後の河牟奈備山は、平安時代には神が宿る山として有名であり、「千載集」にも登載されている。神社建立の時に下山して現在地に祭祀されたものと考えられる。 鎮座地に古墳二基(円墳)、道路の向側(南)に古墳一基(円墳)がある。古墳の上、周囲に神社を建立して祖先神を祭る例が多く、ここもその典型的な式内社の形である。 |
由緒 由緒 和銅年間の創立で、延喜式内社、元井根村を氏子元として八ヶ村の氏神であった。今も大宮というのは、崇敬の厚い近在の大社であったためである。元亀、天正年間兵火により宝物、記録等焼失した。後、後朱雀天皇の長元9年大嘗会主基方神遊の歌(千載集)に神奈備山を歌った歌がある。「みしまゆふ肩にとりかけ神なびの山の榊をかざしにぞする」 阿上社には永久2年銘の御神体の石碑がある。(1114年)現在綾部市最古の金石文であり、(平安末期)昭和50年9月11日有形文化財となる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
河牟奈備神社 祭神 天下春神 この地を今も大宮というのはかって崇敬篤い近郷近在の大社であった故であろう。境内に数基の古墳がある。元亀、天正の頃、兵火に罹り宝物記事等を焼失した。後朱雀天皇の長元9年(1036)大嘗会主基方神遊の歌に丹波国神奈備山を 常磐なる神奈備山の神葉 さしてぞ祈る万代のため(千載集) と詠まれているが神奈備山はこの大宮の背後の山と云われている。尚境内の阿上社には永久2年(1114)銘の御神体の石碑がある。現在、綾部市最古の金石文である。 綾部市観光協会 綾部の文化財を守る会 社頭掲示板 |