近世式内阿須須伎神社を主張して綾部市金河内町東谷の阿須須伎神社と争いがあった。 |
志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起 今から、およそ、1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国の中心勢力をかためるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。 すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王は、おおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。また、志賀の里の”藤波” ”金宮””若宮””諏訪””白田(後の篠田)”の五つの社を厚く信仰されたということです。 親王の子孫、金里宰相は この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して 藤波大明神には「藤」 金宮大明神には「茗荷」 若宮大明神には「萩」 諏訪大明神には「柿」 白田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として、今に語りつがれています。 ―その奇瑞 篠田神社=白田大明神の「竹の子さん」 毎年、旧暦の正月4日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。 この神事は、今も、新暦の二月四日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは、”タケノコさん”として親しまれています。 つい最近まで、氏子の人 数人が、三日間籠堂に泊まり、日に三度づつ、氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。 是非、一度 節分の日にお詣りください。 志賀郷公民館 社頭掲示板 |
篠田神社 綾部市物部町から東方面へ数キロ行った所の左側の山裾に鎮座する。立派な石段を上がって社殿に進む。辺りは静謐な雰囲気が漂う安らぎの境内が広がる。創祀は延歴15年(796)、本殿は室町期永禄9年(1566)に建立、京都府の指定文化財である。祭神は大国主命。 ここの神社は「タケノコさん」として知られ、作柄を占う筍まつりがある。本殿の裏の御ミノシベ(竹が植えられている地所)の竹を用いる。拝殿向拝は大変賑々しい感じだ。目抜きには色鮮やかな竜が左前方を睨み、“いらか”も繊細で、宝珠も、髭も鮮明である。目の後ろの赤もよく見える。何といっても特筆すべきは唐破風内の筍の乱立しているが調和のとれた彫り物である。タケノコさんの面目躍如と言えようか。部材は竜共々檜である。木鼻の唐獅子と獏、鳳凰の飛翔姿も美しい。昭和初期改修の際の、8代目中井権次正胤の相方和久定吉正則の傑作である。 丹波新聞2017年02月23日 |