須波岐山(標高228.3m)の北麓、鬱蒼と茂る森の中に須波岐の集落を見守るように北面して鎮座している。 須波伎部神社を奉祀してゐた氏子達は、古代の有力豪族物部氏の部民で、須波伎物部氏であらう。簀掃(スハキ)といふのは、古代には別名掃部(カモン)と稱され、宮内省管轄の掃部寮に隷属した農民である。物部須波伎部の部民は、恐らく物部氏との関係から都に出て掃部寮の御用を司り、清掃具や設営具等を貢納した者たちでないかと推察される。「式内社調査報告」 |
由緒 社頭掲示板(綾部の文化財を守る会)より 祭神大日例貴尊(オオヒルメムチノミコト、天照大神) 伝承によると第51代平城天皇の大同2年(807年)須波伎山に創建されたといい、三代実録によると貞観11年(869年)12月8日の条に「授丹波国正六位上物部簀掃神従五位下」とあり、古代から階位を有した神社であったことがわかる。 恐らく古代に於てこの地に勢力をもった簀掃物部氏の氏神であったものと思われる。 元和9年(1623年)再建、元文4年(1739年)に改築。 尚、華表の扁額は山階宮晃親王の染筆にかかる。 当社の神宮寺であったと思われる中谷山天慈院が境内に接して建立されていたが、現在は薬師堂だけが残って、等身大の本尊薬師如来坐像が安置されている。 本尊は室町時代中期を下らない仏像といわれている。 参道鳥居脇には樹齢数百年の欅がある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
須波伎部神社 平城天皇の大同2年(807)須波・に建立されたと伝えられている。三代実録貞観11年(869)12月8日の条に「授丹波国正六位上物部簀掃神従五位下」とあり、位階を有する丹波における古大社である。恐らく古代須波伎物部氏の氏神であろう。境内の薬師堂は神宮寺であった中谷山天慈院のもので、堂内には室町時代中期を下らないと思われる薬師如来座像が安置してある。 綾部市観光協会 綾部の文化財を守る会 社頭掲示板 |
須波伎部神社 京都府綾部市物部町(ものべちょう)須波伎(すわぎ)に市内の12式内社の一つ「須波伎部神社(すわぎべじんじゃ)がある。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)である。大正15年7月1日発行の「何鹿郡誌(いかるがぐんし、今の綾部市全域」には白黒であるが現代同様見事な神社の写真が掲載されている。尚、当時の扁額(へんがく)は故山階宮晃親王の御染筆と記している。平安京を誕生させた第50代桓武天皇の皇子の安殿(あこ)親王が第51代平城(へいぜい)天皇となりその大同2(807)年に須波伎山に建立されたと伝えている。三代実録貞観11年(869)12月8日の條に「授丹波国正六位上物部簣掃(かみものべすはぎ)神従五位下」とあり、位階を有する古大社である。おそらく、古代須波伎物部氏(すわぎもののべし)の氏神であったと思慮される。 綾部の文化財を守る会 |