創立年不詳。貞享3年(1686)、改修された事が記録にあり。 応保元年(1161)、平清盛の祈願所になったという伝承が残る。 当社を式内奴々伎神社に比定する説がある。 |
由緒 創建は不明ですが、今から約三百年前の貞享3年に改修された事が記録にあり、境内八百二十三坪、氏子五十七戸と記されている。昔、佐野、稲畑、新井の人々が高見山に小さな社を建てて産土神として崇敬、弓の神事を行っていたといいます。応保元年(1161年)には、平清盛の祈願所になったという伝承が残っている。しかし、今から650年前、高見山の山頂にあった佐野城が落城し、その時、社も炎上してしまったので現在地に社殿を造営したと伝えられている。矢降神社という名も、昔、弓の神事をしていたことから起こったといわれ、また、佐野城落城の際、山頂から矢が降って来たからだとも伝えられている。昭和八年には境内を拡張し、本殿も改築、参道に石橋をかけるなど総工費七千二百円、氏子三十八戸、人夫のべ千二百人を要して改修された。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
矢降神社 創立年不詳。貞享3年(1686)、改修された事が記録にあり。 往古、佐野・稲畑・新井の人々が高見山に小さな社を建てて、産土神として崇敬し、弓の神事を行っていた。 応保元年(1161)、平清盛の祈願所になったという伝承が残る。 およそ700年前、高見山の山頂にあった佐野城が落城し、社殿焼失。現在地に社殿を造営したと伝えらる。 昭和8年(1933)、境内を拡張し、本殿も改築。 兵庫県神社庁 |