もとの鎮座地は「村の奥但馬堺の峯に鎭座有、其古跡恩ケ峯又は夫が嶽と廣峯に佛石と云石有」とも「初め宮ケ谷の中腹に鎭座す」とも伝える。 |
佐地神社 傳へいふ天明天皇和銅3年7月坂上田村磨神勅を奉じ其子刈田磨をして社殿を造営せしめたるに創まり往古は田地五十石山林等を所有せしも現今民有に歸し僅に土地の字に神樂田、宮ケ谷として其面影を傳ふるのみ聖武天皇の御代五畿七道の諸國に中臣齊部両氏を分遺して天神地祇三千百三十二座に幣を班ち給ひし時の一社なりと云、初め宮ケ谷の中腹に鎭座す 兵庫県神社史 |
佐地神社 神楽大明神、延喜式内社、佐治の神社なり。神楽谷九ヶ村の産土神にして小倉村森に建つ。 三社は二間に三間半、末社多し。北西に御手洗池の泉流あり。神前に欄干橋、大鳥居あリ。境内およそ一町四方、除地に斎田あり。村老曰く、この神、但馬境の大稗、小稗の峯に鎮座。ここを恩ヶ嶽(岳)または天ヶ嶽(岳)といい、峯に御神体の石あり。惣持村の猟師に託して背負い奉りて山より下るに御神体は重く、両村の尾の上の「鍵掛」で休み、更に小稗口の「下り松」で休んで神楽谷を下る。檜倉村の口の田の中に少しの森あり。これらを古跡とするが、それより小倉村に下りて後は動き給わず。この所に奉斎す。 神楽谷九ヶ村は、檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文至、稲土、市原、森。 社頭掲示板 |