「岩」は山偏に石につくる。 神社隣地に「水分かれ公園」があり、川が分岐している。北に流路を取る黒井川は、竹田川となり由良川となつて日本海に、南下する高谷川は加古川となつて瀬戸内に注ぐ。標高95mの日本で一番低い分水嶺である。 |
由緒 御由緒 当神社の創立は詳かならざれども、和銅3年(今より約1100年前)の創立と言伝う。現在の神殿は永録年間(今より約400年前)の再建、その後修復再三に及べり。 領主別所豊後守は、元亀・天正の頃「軍神」として当社を崇敬し、燈明田高一石を寄進せらる。また、領主九鬼長門守は寛文6年、丹後宮津鎮撫の時、武運長久祈願のため当社に参拝せらる。境内に泉ありて清水涌出せるを以て祈雨の神として丹波地方のみならず一般の崇敬篤く、又比賣大神を祀るが故に安産を祈るもの多し。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
磯部神社 指定年月日 昭和48年9月14日 所有地・管理者 岩部神社 延喜式内社 奇日方命、誉田別命、神功皇后、比売大神を祀る。創立沿革は不詳であるが、社伝によると永禄年間1558-1570)再建、宝暦2年(1752)改修と伝えられる。 本殿 三間社流造檜皮葺 向拝の面取角柱、高欄の木割・逆蓮頭、頭貫鼻・肘木鼻の絵様繰形、蟇股、手挟の紋様等は古く、後補されているがなお多分に室町時末期の様式を残している。 春日社・熊野社 一間社見世棚様流造柿葺向拝の面取角柱、虹梁の獏鼻・破風板・蟇股等に室町時代末期の様式を残している。 平成4年3月 社頭掲示板 |
磯部神社 元明天皇の和銅3年(710)劍璽山の麓の磐境を巖の眞舍と太兆にと定めて神籬挿し樹て陶津耳命(奇日方命)の御魂を招奉り齊ひ鎭めて天日方奇日方武渟祗命と稱へ拝齊、石清水八幡宮の神領となり宝暦2年(1752)是より先、応神天皇と神功皇后と比賣大神とを山城の男山より勸請して合祀し奉り是に至りて扶持三神の御神体を新たに奉安し、本殿に八幡宮の額をあげる 岩部神社志考 |
磯部神社 創立年不詳。和銅3年(710)の創立と伝う。式内社なり。 現在の神殿は永禄年間(1558〜1569)の再建。その後修復再三に及ぶ。 領主別所豊後守は、元亀・天正(1570〜1591)の頃「軍神」として当社を崇敬し、燈明田高一石を寄進。 また、領主九鬼長門守は寛文6年(1666)、丹後宮津鎮撫の時、武運長久祈願のため当社に参拝。 境内に泉ありて、清水涌出せるを以て祈雨の神として、丹波地方のみならず一般の崇敬篤く、又比売大神を祀るが故に安産を祈るもの多し。 兵庫県神社庁 |
磯部神社 剣爾山は、三角形の美しい形をしています。 こういう山を昔の人は「神奈備山(神様の山)」と言いました。 山上近くにある大岩は、神様が天から下りてこられる拠り所と考えて、こういう岩を「磐座」(いわくら)と言いました。 その山の前に建てられたのが、部神社です。 このあたりのご先祖、部の民は、大きな岩をつかって、古墳を造ったり、たんぼを造ったり(後には条里制水田造りもした)する土木工事が得意な人たちでした。 その部の人達の祖先、奇日方命(くしひがたのみこと)をおまつりしたのが部神社のはじまりは(和銅3年、今から約1300年前頃)です。 後に、八幡宮を勧請(神様のおいでを願う)して、八幡さんとなりました。 なお、この八幡さんは、柏原の八幡さんより歴史が古く、昔から、この部神社のお祭をして、その次の日に神様を、柏原の八幡様にお送することになっておりました。その後、部神社には、いろいろな神様をお招きして、たくさんの神様がおまつりされて、石生の人達の守り神さまとしてお祭りされております。 社頭掲示板 |