狭宮神社
さみやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】狭宮神社 丹波国 氷上郡鎮座
          (旧地)狭宮神社【旧地】

   【現社名】狭宮神社
   【住所】兵庫県丹波市山南町和田1262
       北緯35度5分41秒、東経134度59分1秒
   【祭神】若沙那売命 (配祀)誉田和気命
   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天正13年(1585)社殿再建
       正保元年(1644)現在の鎭座地に遷座
       元禄13年(1700)白川神祗伯より八幡宮を勸請
       宝暦8年〈1758〉造営
       明治5年「狭宮神社」と改称
       明治6年10月村社
       大正4年10月25日神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は南、約0.4Km牧山川の左岸堤防下に鎮座
        正保元年(1644)現在の鎭座地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」「狭宮大明神」「三宮明神」と称していた
   【参考ブログ】 狭宮神社
   【社殿】本殿流造春日造
       拝殿・幣殿・神輿庫・舞殿・社務所

   【境内社】

古跡地は當社の南、約0.4Kmの牧山川の左岸堤防下に位置する
現在その地に記念碑が建つている。


由緒

御由緒
創立年代不詳にして往古和田村下河原に鎮座す天正13年社殿を再建し江戸時代領主織田平季今の宮山に遷座し奉る元禄13年8月白川神祇伯王より八幡宮を勧請し相殿に祀り狹宮八幡宮と稱す。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



狭宮神社

狭宮神社(由緒)
薬草の里山南町和田に鎮座する古社で、既に平安時代には国から幣帛を頂く延喜式内在に列格し、古来より通称「さみやさん」で親しまれています。主祭神に若沙那売命、相殿神に八幡大神を奉斎し、若沙那売命は稲(いね即ちいのちの根)を司っておられ、早乙女の様にお若くて清らかな少女神様で、八幡様と共に、健康長寿を始め五穀豊穣・厄除・交通安全・心願成就の守護神として広く崇敬されています。 特に正月の初詣、1月17・18日の厄除大祭、7月25目の天神祭(夏祭り)は多数の参拝者で賑わいます。
〔厄除神社〕
須住之男神をお祀りしています。厄神さんとして広く親しまれ、厄除開運の神・除災招福の神・疫病や諸々の災いを鎮める神として尊崇されています。毎年1月17・18日の両日は厄除大祭が厳粛且つ盛大に執り行われ、厄除・家内安全・開運を願う善男善女で賑わいます。
〔稲荷神社〕
毎年2月の初午の日に稲荷祭が執り行われます。
霊験あらたかなお稲荷様で、特殊信仰として、古来より、体の瘡(腫れ物やできもの等のことで体の腫瘍やアトピー等の皮層病の総称)を直して下さる神として崇敬されており、商売繁盛と共に病気平癒にも誠にご利益のある神社です。
夏越し茅の輪くぐり
(神事7月25日天神祭)夏は様々な疫病や台風等諸々の災い(わざわい)の多い季節で、古来から人々はこの夏を無事に越せるようにと祈願して茅の輪をくぐりました。
御本殿は、宝暦8年(1758)の再建で、屋根は入母屋造り檜皮葺に千鳥破風が組まれ、随所に巧みな技術が取り入れられており、古社にふさわしく誠に優美な姿であります。また、御本殿の各彫刻は、江声期に代々活躍した中川利兵衛尉の作品であり、18世紀前後にしかみられないすばらしいもので、現在も職人の間で「彫聖」として語り継がれております。
この能面は、和田代官所手代であった野添氏宗の依頼により、筑前・福岡の源氏信治が作り、元禄6年(1693)に狭宮神社へ奉納したものであります。17世紀から18世紀にかけて、厄除奉納舞や雨乞い舞として、丹波猿楽の面掛神事能があでやかに行われています。[鶴牧藩日誌より]
主なる年間行事
元日 午前零時  初詣
1月3日
1月17日・18日 厄除大祭
2月初午の日 稲荷祭
7月25日 天神大祭(夏祭)
10月 体育の日前日の日曜日 神幸祭
10月15日 例祭
11月上旬 七五三詣
12月31日大祓い
本宮 狭宮大御神(さみやさん)ご利益 健康長寿・厄除開運・安産子供の成長・交通安全
一の宮 猿山彦神社(さるたひこさん) ご利益 方除け・鬼門除け・縁結ぴ
二の宮 蛭子神社(えべっさん) ご利益 商売繁盛・家業繁栄
三の宮 稲荷神社(おいなりさん)ご利益 商売繁盛・病気平癒
四の宮 弁財天(べんてんさん)ご利益 水の恵・水難除け・芸術
五の宮 愛宕神社(あたごさん)ご利益 火難除け・火の恵・防火
六の宮 厄除神社(やくじんさん)ご利益 厄除け・無病息災
七の宮 天満宮(てんじんさん)ご利益 受験合格・スポーツ・書道上達

由緒書



狭宮神社

当神社は、平安時代中期(927)延喜式内社に列格した丹波有数の古社であります。主祭神の若沙那売命は、若々しく成長する御神徳で、健康長寿、不老長寿を始め、安産、交通安全、命の守護神として広く崇敬されています。また、相殿の八幡様は厄除け大神で有名です。
御本殿は、江戸中期(1758)の再建で、入母屋造檜皮葺きの誠に巧みで優美な古社にふさわしい建築となっており、特に本殿の彫刻は、江戸期に職人の間で「彫聖」として語り継がれた中川利兵衛の作品です。本社周りの境内社の七宮をめぐられる祭に、ごゆっくりご覧下さい。
社殿真向かいには、安土桃山より江戸後期に駆けて、厄除けや雨乞いの祭に奉納された能(丹波猿楽)の舞堂があり、平成14年5月に能楽が復活しております。
山南町指定文化財
狭宮神社本殿
能小面小尉 1面
狭宮神社社叢
狭宮神社
ご利益七宮めぐり
本宮  狭宮大御神(さみやさん)  ご利益 交通安全・厄除開運・安産・子供の成長・心願成就
一の宮 猿田彦神社(さるたひこさん) ご利益方除け・鬼門除け・縁結び
二の宮 蛭子神社(えぺっさん)ご利益 商売繁盛・家業繁盛
三の宮 稲荷神社(おいなりさん)ご利益 商売繁盛・家内安全
四の宮 弁財天(べんてんさん) ご利益 水の恵・水難除け・芸術
五の宮 愛宕神社(あたごさん) ご利益 火難除け・火の恵・防火
六の宮 厄除神社(やくじんさん)ご利益 厄除け・無病息災
七の宮 天満宮(てんじんさん)ご利益 受験合格・スボーツ書道上達
狭宮神社は多大なご利益のある七つのお宮に守られおります一の宮より順に七の宮までお参りになり本社にて一年の感謝と新しい年への願いをご祈願下さい

社頭掲示板



狭宮神社

創立年代不詳。延喜式内社。
 往古、和田村下河原に鎮座。
 天正13年(1585)、社殿を再建。
 江戸時代、領主織田平季、今の宮山に遷座し奉る。
 元禄13年(1700)、白川神祇伯王より八幡宮を勧請し、相殿に祀り、狹宮八幡宮と称す。
 薬草の里山南町和田に鎮座する古社で、既に平安時代には国から幣帛を頂く延喜式内社に列格し、古来より通称「さみやさん」で親しまれています。
 主祭神に若沙那売命、相殿神に八幡大神を奉斎し、若沙那売命は稲(いね即ちいのちの根)を司っておられ、早乙女の様にお若くて清らかな少女神様で、八幡神と共に、健康長寿を始め五穀豊穣・厄除・交通安全・心願成就の守護神として広く崇敬されています。
 特に正月の初詣、1月第3土・日の厄除大祭、7月25日の天神祭(夏祭り)は多数の参拝者で賑わいます。

兵庫県神社庁



狭宮神社本殿

狭宮神社は延喜式内社で、往古は和田村下河原にあったが、正保年間(1640年代)に現在地に遷されたと伝えられる。
本殿は、正面一間、背面二間、側面二間の入母屋造平入で、向拝一間を付ける。
組物は二手先で屋根は桧皮葺、千鳥破風を置く。
大工棟梁は多可郡の飛田平蔵、華麗な彫刻は大阪の彫物師、中川利兵衛尉藤原親家による。
狭宮神社には、本殿以外にも元禄六年(1693年)鶴牧藩の和田代官所の手先であった野添氏宗が奉納した能面少尉が市指定文化財(彫刻)として、神社裏山の社叢が市指定天然記念物に指定されている。

社頭掲示板



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