旧跡地金屋村は、現社の北約二、三キロメートル、岡本・山崎両村にはさまつた漏斗状の一角にあり、そこには高座の森、式社森と呼ばれる遺称地がある。 『特選神名牒』には「陽成天皇元慶3年(879)己亥3月11日金屋村に始めて社を建て之を奉る、弘治3年(1557)神託にて谷川に移さる」とある。 |
高座神社 主神 高倉下命 配祀 天火明命 経津主命 比売神 由緒 創立年代は不詳(式内社)当社祭神は丹波国造家の祖神、丹波の守護神として奉祭されたと伝えられている。 当社は古来田久下田久下両村の総氏神として年々の祭事に継承され現在に至った。中世には当郷地頭久下氏の所領として当町金屋に鎮座していたが後年この地に遷座された。この時旧社地より移植した松の一本が参道の大松で「お供の松」といわれている。 徳川時代には谷川領主織田家の崇敬厚く社領の寄進を受けている。 本殿 五間社流造 正面双千鳥破風付 向拝一間入母屋造正面軒唐破風付桧皮葺 県指定重要文化財 宝永2年(1704)氏子より再建された。 棟梁は谷川の清水武右衛門、大工は谷川の清水七郎左衛門 、加東郡小野部の■■義左衛門でる。 本殿平面は桁行庇三間身舎五間、梁間身舎二間庇一間、正面に向拝一間を付ける。正面五間に対し背面六間の特異な構成である。斗供は和様三手先(正面詰組)中備え蟇股付、手挟蟇股板支輪等の彫刻や妻組の構成に江戸初期の技法が駆使されている。 社頭掲示板 |
高座神社本殿 建造物 (県指定) S1.3.23 高座神社本殿 T棟(付 棟札一枚) 所在地 山南町谷川3557 所有者 高座神社 管理者 高座神社 五間社流造・向拝一間唐破風造・桧皮葺 高座神社は丹波国造の創設であって、その祖神高倉下命及び祖神に関係深い四柱の神を合祀し、もと村内金屋にあったのを、後年今の地に移したと伝えている。現社殿は宝永2年(1705)の建立である。(棟札) 身舎正面桁行五間・梁間二間・庇一間の流造で、一間の唐破風造の向拝を付け、背面は柱間六間、屋根正面に双千鳥破風をおくという特異な形式を持っている。周囲三方に擬宝珠柱付縁高欄をめぐらし、浜床を付属する。 斗拱は和様三手先(正面中央間は詰組形式)中備蟇股付、背面を除く斗拱部尾垂木は龍頭に造る。 手挟・蟇股、板支輪の彫刻や妻組の構成に17世紀に盛行した手法が駆使されている。大工の棟梁は地元谷川の清水武左右衛門で18世紀初頭の神社建築として県下において他に例のない貴重な遺構である。 http://www.hikami-koiki.or.jp/edu/bunka/takak.htm |