第10代崇神天皇の御代丹波国を平定した日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿彌一族を奉齋した社。 延応元年(1239)後鳥羽天皇が、隠岐国で崩御すると仁和寺宮法親王及び准后の作つた霊代を当社相殿に併せ祭り承明院は境内に宝塔を設けて御冠、御装束を納め永く追幅の誠を捧げた。 |
由緒 御由緒 第7代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来、皇室の崇敬篤く、崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉齋せられたる社である。明治6年10月村社に列す。大正10年7月県社に昇格。拝殿建立昭和14年。亦当拝所以下附属新建物は、人皇第7代皇霊天皇の当神社御仰祭より、御享200年を迎へまつる昭和14年の弐年大祭を奉祝まつり、当社の氏人の建立しまつるところなり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐々婆神社 神社名は、古代より神の祭祀場をササバということによります。もとは神南備とされる八百里山の麓にありました。中世に畑(曽我部)荘の総社となり、八幡神、春日神、住吉神等をお祀りし、更に縁によって、延宝元年(1339)後鳥羽上皇のご分霊を隠岐から迎え、合祀したといいます。 境内に、後鳥羽院の宝塔と細川満国の百度石があります。毎年10月第一土・日の例祭には流鏑馬の神事が行われ、神輿3基、山車十台、太鼓神輿七台が出て壮観華麗です。 祭神 天忍穂耳尊、応神天皇、後鳥羽天皇、天児屋根命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、春日大神、住吉大神 第7代孝霊天皇の勅命によりて創立すると伝えられる古社にして延喜式内社となり、古来皇室の崇敬厚く崇神天皇の御代丹波国平定したまえる日子坐の長子佐々君の祖神志夫美宿根一族の奉斉せられたる社にして実に社名の起由する所なり。 社頭掲示板 |
佐々婆神社 延喜式内 佐佐婆神社(楽楽庭)由緒(旧県社) 際神 天忍穗耳尊 応神天皇 後鳥羽天皇 春日大神 住吉大神 天児屋根命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 鎮座地 多紀郡篠山町畑宮沢下ノ坪377 沿革 第7代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来、皇室の崇敬篤く、崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉齋せられたる社にして実に社名の起由する所なり。 神輿三社造立 万治3年、延宝7年、松平若狭守泰信 鳥居再建 元文5年松平紀伊守信岑(現在の鳥居で郡内最古の木造建築であり、現在までに十数回根継修理されている) 社殿再建 安永8年青山下野守忠高(現在の舞堂なり) 社坊再建 嘉永5年青山下野守忠良(現在の社務所なり) 村社に列す 明治6年10月 県社に昇格大正10年7月 拝殿再建 昭和14年(現在の拝殿なり) 当拝殿以下新建物は人皇第7代孝霊天皇の当神社御仰祭より御享200年を迎えまつる式年大祭を奉祀まつり当社の氏人の建立し奉る処なり。 丹波太神宮(幣殿) 明治維新の制、政府が三丹州鎮祭のために皇大神宮より御分霊申し上げた天照皇大神を始めまつり、国内諸神社の御分霊氏子歴代の御祖霊、元篠山忠霊殿神祭の和魂を移管奉斉する御由緒正しい御社柄におわします。 社頭掲示板 |
佐々婆神社 『神社文書』によれば當社は人皇第七代孝霊天皇の勅命によつて創立され、古來皇室の崇敬篤く第十代崇神天皇の御代丹波國を平定した日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿彌一族を奉齋した社でこれが社名の由來となつてゐる。降而、承久の乱前後の建保年中には後鳥羽天皇の皇子仁和寺宮道助法親王、院家理智院前大僧正隆澄並に北面の武士畑三河守経房等をして社殿を再建させ、後鳥羽天皇妃承明門院は胎藏界像を、土御門天皇(御母承明門院)は金像界像を奉納した。その後延応元年(1239)後鳥羽天皇が、隠岐國で崩御すると仁和寺宮法助法親王及び准后の作つた霊代を當社相殿に併せ祭り承明院は境内に宝塔を設けて御冠、御装束を納め永く追幅の誠を捧げた。爾來仁和寺宮の尊信篤く旧幕時代當地篠山城主に令書を下し、社殿の造営、社頭の経営等萬般に亘り御心を寄せた。又古來この社が武門、武將、國守、領守等の崇敬極めて篤かつた。 式内社調査報告 |