大売神社
おおひるめじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大売神社 丹波国 多紀郡鎮座

   【現社名】大売神社
   【住所】兵庫県篠山市寺内356
       北緯35度5分22秒、東経135度13分16秒
   【祭神】大宮売命 (合祀)素盞嗚尊 大歳命 応神天皇
   【例祭】10月11日 例祭 12月28日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】垂仁天皇の御宇創建
       桓武天皇(781年)の御代に始めて神殿造営
       永禄元亀・天正の頃(1558−92)領主波多野秀治の祈願所
       寛文元年(1661)8月社殿再建
       正徳4年(1714)正一位奉授
       明治6年10月村社
       大正10年2月郷社
       昭和4年2月県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「昼目観音」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所

   【境内社】稲荷神社
   【別当】昼目山圓光寺

垂仁天皇の御代皇女天磐船にて當地に幸し給い榊を植え注連縄を張り木を曲げて神籬を建て皇祖大日霊命を祭り給いしに初まる


由緒

御由緒
第11代垂仁天皇(西暦29年)の御代皇女天磐船にて当地に幸い給ひ、榊を植え、注連縄を張り木を曲げて奉る。桓武天皇(西暦781年)の御代に至り始めて神殿を営む。永禄3年(1560年)の間は、領主、丹波八上城主波多野秀治の祈願所として崇敬篤く、自ら大磐若経全部を書写して奉納する。
寛文元年(1662年)松平、若狭守康治は、神田を寄附し社殿を再建する。享保18年6月(1733年)正一位大賣神社の神額を御染筆される。
当社は、多紀郡北の庄11ケ村の総社であった。社を盡目山円光寺と云う。天保13年(1842年)社殿を再建、明治元年(1867年)社と円光寺が分離する明治6年村社に列しし、明治41年九ケ村の氏神となる。大正10年2月郷社に列し昭和4年2月県社に列する。当社は県下一円に幅広い崇敬者を有している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



大売神社

創建は古く、約1070年前の延喜式神名帳載の神社で、ご祭神は大売霊、すなわT天照大神・太陽の女神です。
「神社調書」に「垂仁天皇の御代に、皇女がこの地に来られ、神を祀られた」という意味が記されています。
この神社の元の拝殿が、右側に移してあり、三岳修験道場「鳥の堂」の遺構です。
また、本殿東南の鳥居の靴石という大石は、知足廃寺の礎石の1つといわれています。
境内の笠鷺稲荷は、おできの神さんとして大変有名です。

社頭掲示板



大売神社

第11代垂仁天皇(29)の御代、皇女天磐船にて当地に幸い給ひ、榊を植え、注連縄を張り木を曲げて奉る。
 桓武天皇(781)の御代、始めて神殿を営む。
 永禄3年(1560)、領主、丹波八上城主波多野秀治の祈願所として崇敬篤く、自ら大磐若経全部を書写して奉納する。
 寛文元年(1662)、松平若狭守康治は、神田を寄附し社殿を再建する。
 享保18年(1733)、正一位大売神社の神額を御染筆される。
 当社は、多紀郡北の庄一一ケ村の総社であった。 社を盡目山円光寺と云う。
 天保13年(1942)、社殿を再建。
 明治元年(1867)、社と円光寺が分離。同6年(1872)、村社に列せられる。同41年(1966)、九ケ村の氏神となる。
 大正10年(1921)、郷社に列せられる。
昭和4年(1929)、県社に昇格。

兵庫県神社庁



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