中世には一の宮神田大明神と称え皇室を始め武門、名門の崇敬極めて篤かつた。二條天皇の応保2年(1162)12月鎮座地を南方五町郷内中枢の高地に奉遷した(奉遷の理由は詳らかでないが旧地は山間避地にして不便であつたためか)。 |
神田神社 當社ノ勧請ハ大宝2年9月9日ニシテ大己貴命ヲ奉祀シ以テ神田郷中ノ産土神トス延喜式神名帳二載スル神田神社即チ是ナリ當郷往古ハ神田郷ト称セシ処足利時代ノ頃ヨリ大山郷ト称セシモノト思ハル、白河天皇ノ御宇承保元年大嘗會ノ節當郷ニテ抜穗ノ御事ヲ行ハセラル當社ヲ距ル西南五町余ノ地二八束穗田ト称へ改正前ハ租税不納ノ耕地ナリ該時大江匡房卿ノ読ミ玉ヘル歌ニ<千早振る神田の里の稻なれば月日と共に久しかるべし> 神田神社縁起書 |
神田神社 大宝2年(702)、勧請。醍醐天皇の延喜式には、多紀郡九座の一とある。 神田大明神と称し、皇室を初め、武家名門の崇敬篤く、承保元年(1074)の大嘗会のおり、大江国房、当社の御神徳を称え、詠う記録あり。 応保2年(1162)、今の地に遷座。戦国時代、足利氏の崇敬篤く、般若経を寄進し武運長久を祈る。 応永元年(1394)、足利義持が征夷大将軍に任ぜられるおり、執事の細川満元に教書を奉呈させ、武運長久を祈る。 天正6年(1578)、兵火により焼失。後に再建。 延宝8年(1680)修繕。 徳川氏の代、篠山城主の祈願所とし、代々崇敬寄進あり。 延宝4年(1676)、城主松平氏より石手洗い鉢寄進ありて、現存す。 寛保2年(1742)、正一位神位を授けられ、正一位神田大明神と称す。明和2年(1765)、社殿改修。 大正4年(1915)、社殿後方へ移し、幣殿建立し、拝殿改修。昭和2年(1927)、神饌所建設。 兵庫県神社庁 |