慶雲年間(704〜708)、天智天皇第三皇子の田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)が勧請し、多治大明神と称したという。 社名は神名帳の多沼が多治の誤記なのか、または多沼であつたのが多治に誤られてそのまゝ現在に至つたのか、まことに重要なことであるが、よくわからない。「式内社調査報告」 |
由緒 掲示板 一、祭神 天太玉命、大山咋命 二、創祀 慶雲年間(704〜707年) 三、文化財環境保全地区(昭和60年府指定) 指定地区は参道から本殿裏までの境内一帯で清流深山川を巧みに利用し、南側には巨大な岩盤が露出している。本殿前には樹高約16mのタラヨウの高木二本があり神々しさをかもしだしている。 四、無形民族文化財(昭和58年度府指定) 田原の御田(毎年5月3日)立人二人が中心となり「種まきの準備」から「田植刈取」までの稲作を模擬的に演じるもので豊作を願う芸能である。 かっこすり(毎年10月15日)秋祭りの神輿の渡御に従い演じられるもので豊作を喜ぶ素朴な民族芸能である。 五、本殿登録文化財(昭和60年度登録) 現在の本殿は棟札から宝歴5年(1755年)の建立で大工は播州三木の藤原秀忠である。二間社造りの建物で丹波地方では最大級の規模である。日吉町教育委員会 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
多治神社 由来 神社誌によれば、奈良時代の慶雲年間(704〜7)に天智天皇第三皇子田原左大臣により創祀された。 神階、正一位 延喜式内社(国史所載) 祭神 大山咋命、天太玉命 文化財 一、 本殿(京都府登録文化財) 本殿はこれまで四度建て替えられており、現在の本殿は江戸時代の宝暦5(1775)年、播州の宮大工室田仁左衛門の手による。建築様式は二間社流れ造りで、この種のものでは丹波地区で最大級である。 一、 御輿二基(日吉町文化財) 江戸時代後期の弘化2(1845)年、氏子の寄進で京の宮大工吉野屋甚之凾の手により製作された(費用45両) 一、 民俗芸能「田原の御田」(国重要無形民俗文化財) 鎌倉時代後期の徳治2(1306)年、豊作祈願の奉納神事として始まる、毎年5月3日祭典執行後奉納される。 一、 民俗芸能「カッコスリ」(京都府無形民俗文化財) 室町時代初期の応永21(1414)年、豊作感謝の奉納神事として始まる。毎年10月15日までの近い土曜日の宵宮祭直後と翌日の例祭直後、および神輿渡御の間二回奉納される。 平成14年9月吉日 民俗芸能保存会 社頭掲示板 |
民俗行事や特殊な神事 田原の御田/日吉町田原・多治神社 日吉町田原の多治神社で毎年5月3日に行なわれる伝統行事で、国の重要無形文化財に指定されている。作太郎と作次郎と呼ばれる立人2人によって、「日柄改め」から「刈終い」までの稲作の過程を十五の次第に分けて模擬的に演じられる。牛役の男の子が田を耕したり、早乙女に扮した4人の女の子が菖蒲の葉を苗に見立て田植えの仕草を行なうなどして、その年の豊作を祈願する。田植えを囃す田植歌は、中世歌謡の雰囲気を残している。 田原のかっこすり/日吉町田原・多治神社 日吉町田原の多治神社で、毎年10月中旬の日曜日(かつては15日)の秋祭で行なわれる伝統行事。中世の風流囃子物の流れを汲むもので、京都府の無形民俗文化財に指定されている。かっこすり(羯鼓という鼓の一種の楽器を持った踊り手)4人、締め太鼓を打つ者と持つ者各6人、笛6人、さんやれ4人、歌を謡う踊り衆大勢が、4人の稚児を囲んで輪を作り、演奏に合わせて足を動かして踊る。踊りに合わせて謡われる一ノ宮の歌と二ノ宮の歌には、中世歌謡の様式が残っているという。かっこすりは多治神社で行なわれた後、天狗、裃姿の氏子たち、花傘と鉾、南丹市の文化財に指定されている神輿2基などの行列で移動し、同じく田原の小多治神社と御旅所でも行なわれる。 南丹生活 |