荒井神社
あらいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】島物部神社 丹波国 船井郡鎮座

   【現社名】荒井神社
   【住所】京都府南丹市八木町美里字荒井 1
       北緯35度5分49秒、東経135度30分23秒
   【祭神】荒魂神 健御雷命 経津主命 天児屋根命 比売神
       『式内神社考証』宇麻志麻治命

   【例祭】10月21日近い日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】元慶6年(882)10月9日従五位下(三代実録)
       永正16年(1519)9月8日檜皮屋根を葺替
       永禄9年(1566)造作
       明暦3年(1657)8月檜皮葺
       寛文5年(1665)造作
       享保6年(1712)造作
       明治6年12月村社

   【関係氏族】物部氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       拝殿・神饌所・社務所・手水舎

   【境内社】
   【境内図】 境内図
   【別当】隣接して西光寺があり、神仏分離までは当社に神官はおらず西光寺の僧が奉仕していた

鎮座地は大堰川と園部川の合流点であつて、古来水害の頻発地である。やゝ高地に鎮座する当社に、洪水の恐しさ以上の力をもつ神を期待し、神の加護でその被害を少なくしようとしたのではあるまいか。
元は荒井神社と称していたが物部氏の入部の結果島物部と称したとも言われている。
元は現社地から60mほど上った場所にあった。


荒井神社

祭神ハ可美真手命ニシテ宇摩志摩遅命亦味間見命トモ称シ奉り、物部連ノ祖神ナリ、命ハ天孫饒速日命ノ御子ニマシマシ神武天皇御東遷二際シ、服ハヌ長髄彦ヲ除キ衆ヲ師イテ帰順シ忠節ヲ抽ンシ給ヒ天ノ物部ヲ率イテ地方ノ賊ヲ討伐シテ海内ヲ平定シ父命ノ高天原ヨリ将来シ給へル種々ノ瑞宝ヲ奉献シ布都主劒ヲ殿内二奉祀スルト共二之ヲ蔵メテ鎮魂祭ノ基ヲ開キ近ク殿内二宿侍シ内物部ヲ率イテ官禁ヲ守護シ奉ル等其勲功抜群ニシテ特二天皇ノ恩□ヲ被り給ヒ位ハ人臣ノ栄ヲ極メ一族ノ中ヨリ?々立皇后ノ事アリ重仁天皇ノ御代二至り七世ノ孫建謄心命ノ弟大新河命及ヒ其弟十市根命二物部連公ノ姓ヲ賜ハリ後昆蕃息シテ弓削連依羅連登美連水取連猪名部造采女朝臣□部連若桜部造高橋連志貴連石上朝臣穂積臣阿刀宿禰等称セラレ洽ク海内二分布シ勢威アリキ然レハ命ヲ奉仕セル神社ハ全国二数多ク文武両道二亘リ御神徳真二灼然ナリ。
 当神社創建ノ年代ハ祥ナラサルモ人皇57代陽成天皇ノ元慶6年(883)10月9日従五位ノ神位ヲ授ケラレタル古社二シテ延喜式神名帳ノ丹波国船井郡ノ部十座ノ内二列セラレタル島物部神社ハ即本社ナリ然レバ上古二於テ所謂国史現在ハ所載社並ニ式内社トシテ相当ノ施設アリタルコトヲ察スルニ足ル降リテ人皇第103代柏原天皇ノ永正6年(1509)9月檜皮上葺ヲ奉仕シ遷宮(板札一枚アリ)第105代正親天皇永録9年(1567)10月造作、第110後西院天皇明暦3年(1658)8月23日檜皮上葺造営、翌9月25日遷官(板札一枚アリ)第111代霊元天皇寛文5年(1665)、第113代中御門天皇享保6年(1721)、第114代桜町天皇延享4年(1748)二現在ノ石鳥居建立ノ事アリ、其後モ社殿其他ノ設備ハ怠ナク維持造営セラレタリ。而シテ明治維新二至ル迄ハ本神社二奉仕スル神官ナク、同村禅学院ノ両部僧ガ神勤メラ為シタルカ、明治6年12月村社二列セラレ春日神社(本郷)司掌ガ奉仕ヲ兼務シ来リ、大正10年3月8日 当神社所在ノ荒井一番地郡村宅地290坪5合2勺ノ民有地ヲ第二種郷村社地二組替ノ件ヲ許可セラル。

荒井神社誌



荒井神社本殿

八木町指定文化財
昭和60年3月30日指定
荒井神社本殿
 当社の創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』の元慶6年(882)10月9日の条に荒井神社の名が記されている。現本殿については、永正16年(1519)9月8日桧皮屋根葺替時の寄付者名を書いた板札があることと、明治8年の『寺社取調帳』に、「永禄9年10月吉日造作」の板札が一枚あると記されていることから、室町時代後期の建立と考えられる。
 本殿は、桧皮葺の一間社流造で、身舎は円柱、向拝は面取角柱である。柱は長押と頭貫で固められ、柱上には実肘木付出三斗が組まれる。軒は二重繁垂木で妻飾は豕扠首である。明暦3年(1657)の修理では、屋根葺替とともに軒より上の部分も補修されたが、当初の垂木が背面に一部転用されるなど、当初材がよく残る。向拝の木鼻の彫刻は地方色が濃く、実肘木や板蟇股の意匠や構造は、室町時代末期の丹波地方の神社建築を知る上で重要である。
南丹市教育委員会

社頭掲示板



荒井神社

本殿は永禄9年(1566)に建立されたもので、京都府登録文化財・南丹市指定文化財、境内は京都府指定文化財環境保全地区です。 「三代実録」元慶6年(882)10月9日条に丹波国荒井神として従五位を授けられたという記録があり、その当時には存在していたことがわかります。この付近には延喜式内社(延長5年/西暦927年の延喜式神名帳に記載された神社)の嶋物部神社があり、その所在は不明となっていますが、荒井神社は嶋物部神社の有力候補と言われています。真言宗西光寺の参道口に鎮座し、明治の神仏分離までは西光寺禅学院の両部僧(真言宗の神仏習合思想による僧侶)が神勤していました。

南丹生活



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