社殿の後方にあたる所は一段と高く(直径約10m、高さ約1.5m)盛土されていて、古くは「禁足地」であった。 |
由緒 稗田野神社(延喜式内)稗田野町佐伯 由緒掲示板 当神社は和銅2年の創建といわれ祭神は保食命・大山祇命・野椎命の三神で五穀豊穰の守護神として、又女の守り神として婦人の参拝者も多い。神殿南側塀内の八角石燈籠は鎌倉期の作品で、旧法により国の重要美術品の指定を受けている。8月14日に行われる夏祭りは「佐伯燈籠」と呼ばれ、食物の豊作を祈願する三丹一の大祭として伝られている。又同時に背丈30糎程の人形を操る人形浄瑠璃が演じられる。尚当神社は鎌倉時代より稗田八幡宮とも称し疫病退散健康長寿の霊験あらたかな神として称えられ、近年は癌封治の社として全国より参拝者も多い。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
稗田野神社 延喜式内 稗田野神社(京都府亀岡市稗田野町佐伯) 当神社は和銅2年(709)の創建でその後平安時代には延喜式(927)に記された古社。御祭神は保食命(うけもちのみこと) 大山祇命(おおやまずみのみこと)野椎命(のづちのみこと)の三柱で五穀豊穣の守護神。鎮守の森中央の土盛は弥生時代以来の祭祀跡。神殿南側堀内の京式八角石燈籠は鎌倉時代の作品と言われ旧法で国の重要美術品の指定を受けていた。8月14日に行われる四社合同の夏祭りは「丹波佐伯郷の燈籠祭」と呼ばれ食物の豊作を祈願する平安朝以来の大祭として伝えられている。平安時代に御所より当社に下賜された「五個の神燈籠」は当時の稲作の様子を五場面に表わし神輿や大太鼓とともに五穀豊穣祈願の神事の中心となり燈籠祭と呼ばれる所以である。また、背丈30cmほどの日本最小の串人形で浄瑠璃が演じられる。京都府より無形文化財の指定を受け国の無形文化財記録保存に採択されている。 尚当神社は鎌倉時代より神宮寺として栄え稗田八幡宮とも称し疫病退散・健康長寿の霊験あらたかな社として称えられ又女性の守り神として若い女性の参拝も多い。最近は悪病退散・癌封治の社として全国より参拝者も多い。(保食命は別名豐受大神で伊勢の外宮と同じ御祭神) 社頭掲示板 |
稗田野神社 【神社の起こり】 約三千年程前、此の地に住み着いた人々が、現在社殿の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え、作物の豊作と子孫繁栄の祈りを捧げるようになりました。 それから時が流れ、大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛りの前に社殿を造営し佐伯郷(宮前町狛倉、ヒエ田野町全域、吉田、並河、宇津根)の産土神として祭り、国の安泰と五穀豊穣を祈りました。これが稗田野神社の起こりです。 【御祭神】 @保食命(うけもちのみこと) 穀物の起源神であり五穀豊穣、食を司る偉大なる女神。 伊勢の神宮・外宮に祀られる豊受大御神と異名同神である。 A大山祗命(おおやまずみのみこと) 山を司る神。山の守護神、延命長寿・美人の守護神。 B野椎命(のづちのみこと) 野を司る神。田畑の作物を守護する女神。 【御神徳】 @五穀豊穣、商売繁盛 A無病息災、延命長寿 B知恵と美人と癌封じ 三柱の御祭神中二柱迄が女神で一柱の男神も日本最長寿の岩長姫・日本最美人の木花咲耶姫の父神で婦人の守り神です。 【朝野の崇敬】 @貞観元年(859)勅使、神宝幣帛を献りて御参拝、五穀豊穣を御祈願 A延喜5年(905)国の神社として式内社となり国幣小社に列す、此の時、神祇官より御神像お移り B寛喜元年(1229)勅使廣幡大納言、五個の燈籠を献ず、燈籠祭の始まり、その後数度の勅使参拝あり、戦国時代以後は亀山城主前田玄以、北条出羽守、松平将監、岡部内繕、菅沼織部、松平伊賀守以下亀山藩主(歴代)勅使代理として御参拝、明治維新に及ぶ C明治6年郷社に、明治16年6月延喜式内社に公定、伊勢神宮大宮司御参拝 公式HP |
稗田野神社 亀岡より篠山に通ずる街道に沿ひ、老樹欝蒼たる所に鎮座し、保食命、大山祇命、野推命を祀る。延喜式既に本社名を載録するも、記録文書等湮滅して、其由緒を明徽すること能はざるは最も遺憾とする所なり。 社伝に拠れば、和銅元年大神朝臣狛麻呂始めて丹波國守となり、同2年本社を創建すと云ふ。又貞観5年7月清涼殿より燈籠を賜はり、寛喜2年7月には藤原貞家勅使として参向し、後水尾天皇寛永2年には古式先例によりて勅祭を執行せられたりと。明和7年以後亀山城主松平紀伊守勅使代理として毎年祭典に列し以て恒例と爲し、歴代藩主の崇敬厚く、又南桑一郡の崇敬社なり。明治6年郷杜に列す。 例祭は毎年10月23日之を行ひ、7月15日の燈籠曾は佐伯の燈籠祭と称し、賽者殊に多し。 南桑田郡誌 |