祭神高御産霊神は、古事記等に国ゆずりや天孫降臨を命令された筆頭の神として登場され、天照大御神が皇室の祖神としてあがめられる以前にあっては、大王家の祖神であったとされている。 現在、多吉神社と境内を接して、臨濟宗妙心寺派の瑞雲山常樂寺がありかっては習合関係があった。 |
由緒 多吉神社 由緒の石碑 祭神、高御産霊神・神御産霊神。延喜式内社多吉神社は、和銅2年(709)当地柚原の向山瀑布の岩頭に創立されて滝大明神と呼ばれていたが、天正12年(1584)霊夢を受け現在地に遷座されて御霊大明神と呼ばれ、のち明治6年に滝の字にちなんで多吉神社と改められた。本殿の妻側にある額は、正徳5年(1715)に京都吉田神社の卜部氏の書いたもので「当社御霊大明神御神誌」とあり、当時の名称を示す。祭神高御産霊神は、古事記等に国ゆずりや天孫降臨を命令された筆頭の神として登場され、天照大御神が皇室の祖神としてあがめられる以前にあっては、大王家の祖神であったとされている。この神を祭る神社は、全国でも式内社では五社しかなく、亀岡市内では当神社一社のみである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |