第40代・天武天皇(673-686)の時、亀岡市の愛宕神社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。 |
由緒 愛宕神社は全国に御分社800余社を有し、防火・火伏の神として崇敬されている“愛宕さん”の総本宮として海抜924メートルの愛宕山、山上に鎮座する。 大宝年間(701−704)、役小角が泰澄を伴って愛宕山に登り禁裏に奏上して山嶺を開き、朝日峰に神廟を造立。(「山城名勝志」の白雲寺縁起) 光仁帝の勅により天応元年(781)、和気清麿公が慶俊僧都と力を合せ、王城鎮護の神として鎮座された。 中国の五台山に模した、1.朝日岳(峰)の白雲寺(愛宕大権現)2.大鷲峰の月輪寺3.高雄山の神願寺(神護寺)4.竜上山の日輪寺5.賀魔蔵山の伝法寺という五寺が山中の五山にあった(「扶桑京華志」)と記されている。 「和歌初学抄」・「八雲御抄」・「和歌色葉」の和歌に詠まれ「本朝神仙伝」・「今昔物語集」・「源平盛衰記」・「太平記」等の物語に登場し、古くより修験者の修業場ともされ、祭神も天狗の姿をした愛宕権現太郎坊とも考えられ、火神ともされた。愛宕山中で宗教生活を送る修験者を「愛宕聖」(「源氏物語」)とか「清滝川聖」(「宇治拾遺物語」)と呼ばれて、愛宕信仰を全国に流布させ、これが慶応4年(1868)の神仏分離令までの愛宕山・白雲寺内大善院・教学院・威徳院・長床坊・福寿院の五坊の修験者支配と続き、神仏分離令後は、祭神の一つ勝軍地蔵は金蔵寺(現・西京区)に移座され仏寺を廃して愛宕神社となった。(別表社) 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
愛宕神社 当社は全国に約900社を数える愛宕神社の本社として、京都市最高峰の霊山である愛宕山上に鎮座します。 古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られ、京都府内はもとより近畿地方を中心に全国から参拝者が絶えません。 その創祀年代は古く「愛宕山神道縁起」や「山城名勝志」白雲寺縁起によると大宝年間(701〜704)に、修験道の祖とされる役行者と白山の開祖として知られる泰澄が朝廷の許しを得て朝日峰(愛宕山)に神廟を建立しました。 その後、天応元年(781)に慶俊が中興し、和気清麻呂が朝日峰に白雲寺を建立し愛宕大権現として鎮護国家の道場としたと伝えれます。 早くより神仏習合の山岳修業霊場として名高く、9世紀頃には比叡山・比良山等と共に七高山の一つに数えられました。 神仏習合の時代には本殿に本地仏である勝軍地蔵、奥の院(現・若宮社)に愛宕山の天狗太郎坊が祀られ、 境内には勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院等の社僧の住坊が江戸末期まで存在していましたが、 明治初年の神仏分離令で白雲寺は廃絶、愛宕神社となり現在に至っています。 尚、本地仏であった勝軍地蔵は神仏分離令の際、金蔵寺(京都市西京区大原野)に移され現在も大切にお祀りされています。 また、平成15年9月28日には、愛宕神社御鎮座1300年祭が執り行われました。 公式HP |