山国神社
やまぐにじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】山国神社 丹波国 桑田郡鎮座

   【現社名】山国神社
   【住所】京都府京都市右京区京北鳥居町宮ノ元 1
       北緯35度10分22秒、東経135度39分20秒
   【祭神】大己貴命
   【例祭】10月10-11日 例祭
   【社格】旧府社
   【由緒】宝亀年中(770〜780)創建
       延暦年中(794)平安遷都で造営の木材を山国よリ徴
       長和5年(1016)正一位祈願所として菊花の御紋章を賜り、五社明神称
       天福元年(1233)再建
       元弘の乱(1333)で破却
       応永6年(1399)社殿復旧
       天正7年(1579)頃には社殿は朽壊して神領も押領
       慶長元年(1596)再建
       明治6年郷社
       明治33年府社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「五社明神」「一宮大明神」と称していた
   【公式HP】 山国神社
   【社殿】本殿切妻造檜皮葺
       拝殿

   【境内社】御霊神社

第50代桓武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733〜799)が奉仕せられた。
爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。


由緒

由緒略記
第50代桓武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733〜799)が奉仕せられた。
爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第67代三条天皇の長和5年(1016)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日、加茂、御霊、日吉の四社を建立して五社明神とした。
源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の天福元年(1233)再建され第96代後醍醐天皇、元弘の乱(1333)に亦々破却されたが、足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿復旧綸旨を賜る、この時足利義満(1358〜1408)丸に二引の徴章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。
その後第107代後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年(1873)郷社に明治33年(1900)に府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



山国神社

祭神 大巳貴命
創立 宝亀年中 光仁天皇
例祭 10月10日
桓武天皇延暦年中平安遷都にあたり大内内裏御造営の木材を当山国の郷より徴せられ此の郷を御そま料地と定めたまい木工寮修理職の官人をして本殿を御造営せられ、祭主として和気清麿公が奉仕された。爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達することが恒例となった。長和5年(1016)神位正一位を贈られ四社を建立して五社明神と称した。源平の兵乱に破壊されたが、四条天皇の天福元年(1223)再建され、後醍醐天皇元弘の乱にまたまた破却されたが足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間本社復旧のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿復旧綸旨を賜る。この時足利義満丸に二引きの徴章を奉納す。その後後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年郷社に同33年に府社に列格された。延喜式内の古くからのお社である。

社頭掲示板



山国神社

祭神 大己貴命(大国主命)
鎮座地 京都府北桑田郡京北町大字鳥居小字宮の元一番地
御鎮座 光仁天皇 宝亀年中(770〜780)
神階 社格 長和5年正一位を賜る 明治33年府社に列格

御由緒
第50代桓天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷よリ徴せられ此の神を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿公(733〜799)が奉仕せられた。爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第67代王条天皇の長和5年(1016)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日加茂御霊日吉の四社を建立して五社明神とした。
源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の天福元年(1233)再建され第96代後醍醐天皇、元弘の乱(1333)に亦々破却されたが足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿を復旧、綸旨を賜る、この時足利義満(1358〜1408)丸にニ引の徽章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。その後第107代、後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年(1873)郷社に 明治33年(1900)府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。

境内社 右春日神社(天児屋根命)左 蛭子神社(蛭児命)
飛地境内社 御霊神社(京北町大字比賀江小字坊ケ瀬40)
末社 八幡神社
御祭神 崇道天皇 伊予親王 藤原吉子 橋逸勢 文室宮田磨呂
吉備真備 藤原広嗣 管原道真

由緒書



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