もとは山上の金輪寺にあった。金輪寺は、当社の神宮寺。延暦2年(783)に建立され、山上にあった神野神社は金輪寺の地主社とされた。 享保2年(1717)現地に社殿を建立。鎭座地は山から降り山麓に社地が営まれ、宮川の地名をつけて宮川神社となった。 神代の昔、建角身命「タケツノミノミコト」は神武天皇が紀州熊野から大和に入る際、八呎烏に変身して神武天皇の一行を先導した。 この神は当時出雲族の勢力が丹波に及んでいた豪族の娘、伊古夜姫命と結婚した。 この伊古夜姫を祀った神社が亀岡市の宮川神社で別名神野「カムノ」神社と言われている。このカムノが転語して「賀茂」となったと伝えられている。 |
宮川神社 宮川神社(延喜式内社)宮前町宮川 祭神に伊賀古夜姫命 誉田別命を祀る。 当社の創建は文武天皇大宝年間(701−8)山上に伊賀古夜姫命を鎮めたのが起源とされ古くは神野山と称し延喜式にいう神野神社に比定される。また、誉田別命(八幡大神)は欽明天皇32年(571)に宇佐八幡宮より神野山山中に遷し祀られたと伝えられ今に社地を八幡平という。天正5年(1577)明智光秀と波多野秀治の合戦の際両社とも焼失し、その後落雷不作が続いたので正保4年(1647)山麓の現在地に社殿を移し二神をあわせ祀り名称も宮川神社と改めたと伝えられる。伊賀古夜姫命は京都下鴨神社の際神玉依姫命の母神であり、下鴨神社と関係深く葵祭の行列には氏子青年が奉仕に参加している。 社頭掲示板 |