小川月神社
おがわつきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小川月神社(名神大) 丹波国 桑田郡鎮座

   【現社名】小川月神社
   【住所】京都府亀岡市馬路町月読16
       北緯35度2分56秒、東経135度33分32秒
   【祭神】月読命
   【例祭】10月16日 例祭
   【社格】
   【由緒】貞観元年(859)従五位上
       応仁の頃大堰川洪水で社地流失
       中世兵乱のために廃弊

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「月読神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】

かつては、丹波の二の宮ともいわれ、広大な敷地に囲まれた大社であった。度重なる大堰川の氾濫で社地を流失あい、衰微した。
松尾大社との関係から、大堰川を遡る形で秦氏による開発が進み、それにともなって創祀されたと考えられている。


小川月神社

一、 鎮座地 亀岡市馬路町月読16番地
一、 祭 神 月読命
一、 例 祭 10月16日・祈年祭 4月2日
一、 由 緒 当神社は昔から月読神社とも言われている。「延喜式」神名部に、丹波の国桑田郡(今の亀岡市及び北桑田郡)十九座の中の大社二座の一つで桑田郡第二の大社とあり、また古記録は、伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社であり、神代から当地に祀られていたと伝えている。
 この神社は大堰川に比較的近く、応仁の頃に兵乱を大洪水のため、神域のほとんどが流出、現在はやや狭少な神域となっているが、この神社を中心とした約1.3ヘクタールの田地が「月読」として現存し、この田地が昔の神域であったのではないかと思われる。
 その昔、北条時頼が諸国巡礼をし、小川月神社参拝の節、その家臣人見次郎貞村にこの神社の守護を命じた。以後人見家が三十代にわたって連綿と守護をし、その後は氏子総代が神社の維持運営にあたっている。現在は出世の神 五穀豊穣商売繁昌の神とあがめられ、遠近より参拝者が多い。

社頭掲示板



小川月神社

小川月讃神社 字馬路に鎮座し、月讃尊を祀る。延喜式名神大に撰録せられ、貞観元年5月27日從五位下より從五位上に進めらる。本郡屈指の大杜なりしならむ、今史料湮滅して其沿革を明かにすること能はず。社傳によれば応仁の頃大堰川洪水の爲社地を流失し、一時廃絶したと云ふ。大日本史神祇志に此社もと小川村にありしと書せるは恐らく、事實なるべく而して小川は山城松尾社の杜領なりしなれば山城松尾月読神社との関係ありしこと疑ふべからず。

南桑田郡誌



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