古くは丹波(たにわ)といわれ、赤い土で染まった大きな湖だったこの地を、出雲大神が八人の地祇と協力して、浮田(請田)の狭を切開き、湖を干拓して桑畑(桑田)に変えたという。その謂れにより左岸に請田神社、右岸に桑田神社、そして干拓に用いた鍬が山を成した上矢田の地に、鍬山神社を祭ったと伝えられる。 この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる。 |
由緒 桑田神社(延喜式内社) 由緒掲示板 祭神は、市杵島姫命・大山咋命・大山祇命。往古この地方は湖なりしを、亀岡市矢田町鍬山神社の祭神と共に、自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き、山城の地に水を流して亀岡盆地を干拓されたと大日本史の神社誌に見られる。本神社は保津川の急流を眼下に、景勝の地に鎮座まします。なお、末社水神宮を祭り祭日は1月3日、末社野々神社は九頭龍神を祭り、足の病に霊験あらたかにて、参拝者も多い。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
桑田神社 (延喜式内社) 鍬山神社の祭神と共に保津の山峡を切開き亀岡盆地を干拓したという大山咋神と市杵姫命とを祭っている。市内では古い社で大日本史神祇志にこの社地辺を桑田というと記されているにかかわらず、明治6年まで川向いの保津の請田神社を名のっていた。 ここは保津の急流を見下す景勝の地にあり、古代集落の成立に適し、盆地の入口に当り政治的にも重要地位を示していたと考えられ、秦氏の勢力がいち早く波及した所である。近世篠村七郷から厚い崇敬をうけている。 社頭掲示板 |