明和7年(1770)の『面沼神社考』には 但馬国二方郡面沼神社祭神三座として 上ノ社 倉稻魂命 中ノ社 美尼布命 下ノ社 天穂日命 とある。 現在祭神三座(上社・中社.下社)の形態はない。 米持大明神とも、面治(めじ)大明神とも称していたが、延喜式に「面沼」と誤記された結果明治3年6月に、面沼神社と改称した。 |
由緒 一の鳥居は湯谷、二の鳥居は伏拝み、三の鳥居は宮前と伝えられ、後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭られています。菅原道真公の延喜の時(927年)、大化改新(645年)による律令制度が式に整えられました。この式の中の神名帳に面沼神があり(式内社)、山陰道の駅名として面治駅があるのです。 温泉郷一宮、二方総社の面沼神には春と秋、国からお供えの列が参りました。奉幣といい、国幣の宮だったのです。中、近世、神さまは「めしの宮」、「明持大明神」「米持大明神」と、いろいろに云われました。そして、弘化4年(1847年)4月には温泉庄一八ケ村の村人によって創立千二百年祭が三日間にわたって祝われております。 明治になり、面沼神社と改称された宮は、郷社格が6年(1873年)にあり、神饌幣帛供進神社として、大正4年(1915年)指定がありました。 但馬の七不思議の一つ、雪の中を境内の女奴池で茗荷が摘まれ、神に捧げられる。古来、人々その芽を見て年の吉凶を占う。また、当日は裸参りが行なわれるが、風邪をひくこともなく命延びると云い伝えられている。「命賀メデタヤ、富貴ハンジョウ」、茗荷を拝して健康と富を頂くお祭りです。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
面沼神社 式内社 郷社 面沼神社御由緒 鎮座地 山陰道を上り下りする人に、峠より目の前に見え、目標とされた面治山。ここは同時に温泉郷・八太郷の接点(出合)で、春来川、岸田川の流れを集めたよく肥えた面沼(メヌノ)池でもありました。 御祭神 神さまは佐屋(サヤ)殿に包まれており、郡内一大きい御本段の中には、左に地主神の面沼大神(正一位稲荷大明神)、中央、二方国造の美尼布命(面治大神)、右に御大祖、天穂日命(出雲国造)をお祭りしています。 明治42年(1819)には更に二柱神社(イザナギ、イザナミ命)等、竹田の六社の神さまを合せお祭りしました。 氏子 氏子は竹田、出合、八日市です。 由緒 一の鳥居は湯谷、二の鳥居は伏拝み、三の鳥居は宮前と伝得られ、後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭羅れています。菅原道真公の延喜のとき(927)、大化改新(645)による律令制度が式に整えられま下。この式の中の神名帳に面沼神があり、(式内社)、山陰道駅名として面治駅があるのです。 温泉郷一宮、二方総社の面沼神には春と秋、国からお供えの列が参りました。奉幣といい、国幣の宮だったのです。中、近世、神さまは「めしの宮」、「明持大明神」、「米持大明神」と、いろいろに云われました。そして、弘化4年(1847)4月には温泉庄十八ヶ村の村人によって創立一千二百年祭が三日間にわたって祝われております。 明治になり、面沼神社と改称された宮は、郷社格が6年にあり、神饌幣帛供進神社として、大正4年(1915)指定がありました。 村岡の郡役所よりの奉幣を受けるのです。 祭日 秋祭 10月1日(旧9月9日) 茗荷祭 2月11日(旧1月7日) 但馬の七不思議の一つ、雪の中を境内の女奴池で茗荷が摘まれ、神に捧げられる。古来、人々その芽を見て年の吉凶を占う。また、当日は裸参りが行われるが、風邪をひくこともなく命延びると云い伝えられている。「命賀メデタヤ、富貴ハンジョウ」、茗荷を拝して健康と富を頂くお祭りです。 社頭掲示板 |
面沼神社 一の鳥居は湯谷、二の鳥居は伏拝み、三の鳥居は宮前と伝えられ、後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭られる。 延喜の時(927)、大化改新(645)による律令制度が式に整えられた。 弘化4年(1847)、温泉庄一八ケ村の村人によって創立1200年祭が三日間にわたって斎行。 明治になり、面沼神社と改称。 明治6年(1873)、郷社に列せられる。 兵庫県神社庁 |
面沼神社のお茗荷祭り 茗荷の芽出しは4月頃ですが、この地に限って2月11日(旧暦1月7日)を境に生えるという但馬七不思議の一つと言われ、このお茗荷祭りは、100年以上の前より続けられている伝統行事です。 お茗荷祭りの神事は、毎年2月11日の1番寒い時期に宮司が境内のめぬ池という小さな池の中央にある小島に生えた茗荷を3本取り、池の水で清め、神前に奉納します。 参拝者は、その茗荷の芽の形や大きさ、色具合などの成育状態でその年の吉凶状況を占います。 芽がまっすぐ伸びていると豊作、曲がっていれば日照り、上部が光沢であれば早稲、下部が光沢であれば晩稲と言われています。 但馬の民俗芸能 |