この地は土師部(阿古氏)の居住地であつた。律令期以前より、神祭りなどの氏族信仰が行なわれていたと推察される。 かつての鎮座地は、現鎮座地の北約400m、轟小学校の背後地(この地は小字阿古谷口)であつた。 その地が古木鬱蒼として荘厳を極めたため、村人は当社を「森の宮」と尊称、いつしか森神社、森大明神と崇敬されるようになったという。明治初年に本殿以下が炎上したため、現鎮座地に移転。 |
由緒 創立年月不詳にして初め轟字阿古谷の口に鎮座し其地古木欝蒼として荘厳を極めしかば士民自ら森の宮と尊称せり延喜式の制小社に列し阿古谷神社と称す延寶7年本殿を再建し明治初年燈火より火を失して本殿以下を炎上す故に蓮花寺の守護社地へ移転し6年10月村社に列せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
阿古谷神社 式内社阿古谷神社由来記 神社名の由来は土師部(阿古氏)の居住地たりしにより起これるものにして地名も阿古谷となる。創建時代は不詳なるも律令期以前より氏族信仰が行れ。祭神は土師連祖吾笥命といわれ延喜式の制小社に列し特選神名帳、神祇志にも書き上げらる。創建時は湯の森(轟き)阿小谷の丘に鎮座、その地古木鬱蒼として荘厳を極めしかば村人は森の宮と尊称、いつしか森神社、森大明神と敬い祀る。後大山祇命、春日大明神を合祀延宝7年字森脇に本殿を再建、明治初年本殿以下を焼失、ために蓮華寺鎮守社に移転、神仏分離令により八幡大神と共に明治5年現在地に遷座。同6年村社に列せらる。創建より千数百年を■し今日尚■人の崇敬篤く秋の例祭には神楽を奉納■ 昭和63年10月建之 氏子中 社頭掲示板 |
森神社 創立年月不詳にして、初め轟字阿古谷の口に鎮座し其地古木欝蒼として荘厳を極めしかば士民自ら森の宮と尊称せり。 延喜式の制小社に列し阿古谷神社と称す。延宝7年(1679)本殿を再建し、明治初年(1868)燈火より火を失して本殿以下を炎上す。故に蓮花寺の守護社地へ移転し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。 兵庫県神社庁 |