椋橋神社
くらはしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】椋橋神社 但馬国 美含郡鎮座

   【現社名】椋橋神社
   【住所】兵庫県美方郡香美町香住区小原827-1
       北緯35度35分59秒、東経134度36分27秒
   【祭神】伊香色雄命
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】白鳳13年(684)7月創祀
       天平宝字5年(761)宮を建て椋橋神社と号
       寛政4年(1463)秋焼失
       宝暦(1751〜64)年中造営
       明治6年10月村社
       昭和15年社殿修復

   【関係氏族】椋椅部連
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】本来は氏祖を祀る
   【祭祀】江戸時代は「木原大明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造木はだ葺
       楽殿

   【境内社】八幡神社・香椎神社・日吉神社・八阪神社

祭神の子孫である椋椅部連小柄が天武天皇白鳳13年(684)7月に祖伊香色乎命を鎮座地に祀る。
社伝によると、太古、祭神伊香色乎命は鮭に命じて、日本海より矢田川遡って調べさせ、当地を「吾宮居すべき地なり」と鎮座し給うという。
椋橋神社と椋橋山遍照寺は相接し、椋橋神社の参道は遍照寺の境内である。椋橋神社と遍照寺の関係は深く、遍照寺は椋橋神社の神宮寺である可能性が強い。


椋橋神社

伝え云う太古、伊香色手命鮭に召して海湾より矢田川に入り河流を逆る事里余、小原村字谷口に留り給い吾宮居すべき地なりとて鎮座し給う。又一に当社を大原大明神と唱え彼の祭神名の召されたる鮭は同川を逆りて七味郡山田村に至り鮭大明神と仰がれ給う。之より後祭神の子孫たる椋椅部連小柄天武天皇白鳳13年7月其の祖伊香色手命を鎮座地について祀る。是当社の創立なり。
 延喜式の制小社に列す。醍醐天皇延長5年(927)12月官社に列し、明治6年(1873)10月村社に列せらる

兵庫県神社庁



椋橋神社

香住から矢田川をさか上ること車で約5分、のどかな山あいの風景が広がる香美町香住区小原。
小原の歴史を紐解く時、氏神である「式内社椋橋神社」の成り立ちを抜きには語れない。
伝説によると、伊香色雄命(いかがしこおのみこと)という神様がサケに乗って海より矢田川を上って小原村で降り、その際にサケの背中が光り輝き、「ここが私の居るところだ」といって、この地に鎮座されたという。神様の乗られたサケはさらに川を上って、現在の香美町村岡区山田にたどり着き、鮭大明神として信仰された。
その後、伊香色雄命の子孫である椋橋部連小柄(くらはしべむらじおから)が、天武天皇の時代に祖先をお祀りしたことが神社の起こりとされる。
「秋の祭礼には香住におられる子孫の椋橋さんをお迎えしないと、祭りが始まりません。前日には三升三合の米を持っていき、祭りの開催を伝えます。但馬でも珍しい風習が残っているんですよ」と、案内役の原昌久さんは話す。
椋橋神社に隣接する「遍照寺」は、神社を管理する別当寺として置かれた真言宗の古刹。十一面観世音菩薩をご本尊とし、現在は「桔梗寺」としても名高い。
住職夫妻が桔梗を植え始めたのは14年前のこと。同寺に招かれてから少しでも境内の庭をきれいにしようといろいろな花を植えたが、杉苔に自生していた一輪の「桔梗」に魅せられて植栽を始めた。今では約千株もの桔梗が6月下旬から咲き誇り、「更」に「吉」を招く花として信仰を集めている。集落の道沿いにも植えられ、「桔梗の里」として地域の魅力に花を添えている。

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