日本海と円山川川口の津居山港をむすぶ運河が瀬戸であり、神社はその日本海側からの入口の段丘平坦地に鎮座し、祭神がこの人工運河開さくに関係のあることを暗示する。 |
由緒 稲背脛命は、天孫降臨に先立ち出雲の国、大国主命のもとに使者として行かれ、事代主命に会見し、国譲りの諾否(古語いなせ)を求められた。 長途の旅を健脚に托し、勲功をたてられたので「いなせ脛命」の御神名がある。 国譲りのため長途の旅路を陸路、海路共に安全且つ速かに目的を果されたので、陸上、海上の交通安全、同胞一和の守護神として崇敬されています。 仁徳天皇の御代(458年)円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような一大入江であった。この時、海部直命(但馬五社絹巻神社の祭神)は、御子・西刀宿禰に命じて瀬戸の水門を浚渫し、河水を海に流し、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝えられております。 依って土木建築の神、交通安全、地方開発、同胞一和開運の祖神として当社に祀られています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
西刀神社 ●西刀神社社務所 兵庫県豊岡市瀬戸 西刀神社由緒と略記 鎮座地 兵庫県豊岡市瀬戸字岡 社名 式内社西刀(せと)神社 御祭神 稲背脛命 海陸交通安全の神 西刀宿弥命 土木建築の神 例祭 10月吉日 由緒 稲背脛命は、天孫降臨に先立ち出雲の国、大国主命のもとに使者として行かれ、事代主命に会見し、国譲りの諾否(古語いなせ)を求められた。 長途の旅を健脚に托し、勲功をたてられたので「いなせ脛命」の御神名がある。 国譲りのため長途の旅路を陸路、海路共に安全且つ速かに目的を果たされたので、陸上、海上の交通安全、同胞一和の守護神として崇敬されています。 仁徳天皇に御代(322年)円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような一大入江であった。この時、海部直命(但馬五社絹巻神社の祭神)は、御子・西刀宿弥に命じて瀬戸の水門を浚渫し、河水を海に流し、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝えられております。 依って土木建築の神、交通安全、地方開発、同胞一和開運の祖神として当社に祀られています。 摂社 金刀比羅神社 天満神社 三宝荒神社 祇園社 愛宕神社 石切神社 蛭子神社 松神神社 柳原神社 稲荷神社 西刀宿弥の遺業 雄略天皇の御代(458年)には、この瀬戸の水門は塞がり、水が堰きとめられて泥の海であり悪い獣や害虫がはびこって人の住む場所もなく住民が困窮した。そこで当時城崎郡司であった海部直命(絹巻神社祭神)の御子西刀宿弥はこの瀬戸の水門を浚渫の開発に大きな業績を立てられた。 後に城崎郡司になられ、雄略天皇の2年8月薨じられたので瀬戸の丘(日和山)に祠を建ててその霊を祀ったのが西刀神社であり、瀬戸の地名もここから起っている。 西刀神社は松上大明神とも称せされて今から約1070年前の醍醐天皇の時代に全国の有数神社を調べられた延喜式の神名帳にのせられている神社である。いわゆる式内小社で、稲瀬脛命と西刀宿弥命とを祭神とし、瀬戸浚渫に用いられた鍬を相殿に納めて奉斎している。 当地は、手石船に依る北前船の基地として、北は北海道、南は大阪に至る迄、海運業も明治初期迄、隆昌を極め、古文書に西刀神社守護神を千石船に祀り、安全航海を成した事も記されており、当時から海上航行安全の神として尊崇されていた事が伺い知る事ができる、昭和九年開発の日和山も、前述の通り、土木建築の神として、道なき山を御神徳に依り、開発されたものとして、地元民の尊崇を受け深く信仰されている由縁である。 由緒書 |
西刀神社 西刀神社 祭神 主座神 稲背脛命 相殿神 西刀宿祢命 沿革 当社の創建は甚だ古く既に54代仁明天皇の御代嘉祥4年(850)正月には神階正六位上に叙せられ以来九度の叙位を経て従三位下に昇叙せられ60代醍醐の朝延喜式の制に式内社に列し明治6年10月には村社に列せらる。 由緒 祭神 稲背脛命は天孫降臨に先立ち大国主命のもとに使いして事代主命と会見し国譲りの諾否を求められたという建国の功神その際の長途の旅の脛の字にこもらせて御勲をたたえて御神名とせられていえる。されば海路の守護神として山陰海上の要港この地に於いても上古既に社殿を創建して御神徳を迎いでいた。次で加うるに人皇16代仁徳天皇の御代当時この地方に円山川氾濫の帯水のために黄沼前海を呼ぶ程に一大入り海であったところを西刀宿根は西刀の水門を切り開いて干拓し蒼生安住の地を開発された。この故に21代雄略天皇2年8月当社の相殿に土木の神地方開発の祖神として西刀宿根を合祀した、ちなみにその御霊代として水門の切り開きに用いた鍬を納め祀ったと伝えている。この様に当社の由来はまことに古く、その神徳は海人船乗りさては土木業者間に崇敬され古来より今日まで地方盛業の守護神として篤く斎祭し絶ゆることがない。 祭日 10月15日(秋祭) (神幸式の行事を執行する) 社頭掲示板 |
西刀神社 稲背脛命は、天孫降臨に先立ち出雲の国、大国主命のもとに使者として行かれ、事代主命に会見し、国譲りの諾否(古語いなせ)を求められた。 長途の旅を健脚に托し、勲功をたてられたので「いなせ脛命」の御神名がある。 国譲りのため長途の旅路を陸路、海路共に安全且つ速かに目的を果されたので、陸上、海上の交通安全、同胞一和の守護神として崇敬されています。 仁徳天皇の御代(458)円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような一大入江であった。この時、海部直命(但馬五社絹巻神社の祭神)は、御子・西刀宿禰に命じて瀬戸の水門を浚渫し、河水を海に流し、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝えられております。 依って土木建築の神、交通安全、地方開発、同胞一和開運の祖神として当社に祀られています。 祭りには、神輿1基・檀尻2基・樽神輿2基・稚児行列による巡行がある。 村内4か所の御旅所を巡り、夕刻には境内広場にて競合いが行われ、餅撒きをもって終了する。 兵庫県神社庁 |