推古帝の頃の城崎郡司である神津主命が父である物部韓国連墾磨命を祀り、後に城崎郡司となった久々比命がその父である楮主(かみつ)命を祀ったとされる。 その祭祀場所である「敷浪の丘」から社名を「重浪」と書いて「しきなみ」と読ませている。 現在も社殿左傍に巨岩が安置されている。標縄が巨岩の周囲に引きわたされ清浄な雰囲気を醸し出している。岩は上表面は長径約6m、横径約4mのやや凹凸ある平坦面にして地上よりの高さ約2m。神霊来臨の聖地を岩石で築き上げた磐境と思われる。 |
重浪神社 社伝によると推古天皇25年(617)12月、物部韓国連神津主命が城崎郡司となり、その父・物部韓国連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。 天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという。 よって重浪は、敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。 一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所と云われ、境内に御船岩のある由縁とも。 この御船岩は磐境であり祭神が天降りましし時、ここに船を繋いだという。 よって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を祭神とする説もある。 兵庫県神社庁 |