重浪神社
しきなみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】重浪神社 但馬国 城崎郡鎮座

   【現社名】重浪神社
   【住所】兵庫県豊岡市畑上843
       北緯35度36分31秒、東経134度50分50秒
   【祭神】物部韓国連神津主命
       表津綿積神『神祇志料』
       上津綿積神『特選神名牒』

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】推古天皇25年12月創祀
       白鳳3年(675)6月久々比命祠を建
       承応年間(1652〜54)村内火災で社殿類焼
       寛保3社年(1743)本殿再建
       文政3年(1820)造営
       嘉永3年(1850)造営
       明治6年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】岩
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造柿葺
       籠堂

   【境内社】稲荷神社・山神社・四社惠神社・丹生神社・祇園神社
        宇賀神社・秋葉神社・山野口神社


推古帝の頃の城崎郡司である神津主命が父である物部韓国連墾磨命を祀り、後に城崎郡司となった久々比命がその父である楮主(かみつ)命を祀ったとされる。
その祭祀場所である「敷浪の丘」から社名を「重浪」と書いて「しきなみ」と読ませている。
現在も社殿左傍に巨岩が安置されている。標縄が巨岩の周囲に引きわたされ清浄な雰囲気を醸し出している。岩は上表面は長径約6m、横径約4mのやや凹凸ある平坦面にして地上よりの高さ約2m。神霊来臨の聖地を岩石で築き上げた磐境と思われる。


重浪神社

社伝によると推古天皇25年(617)12月、物部韓国連神津主命が城崎郡司となり、その父・物部韓国連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。
天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという。
よって重浪は、敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。
一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所と云われ、境内に御船岩のある由縁とも。
この御船岩は磐境であり祭神が天降りましし時、ここに船を繋いだという。
よって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を祭神とする説もある。

兵庫県神社庁



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