日本海に注ぐ気比川の川口に位置している。敦賀の気比神宮の相殿に祭られる神功皇后の三韓征伐の説話を物語りと考えても、ここが古代にあつて東から西への船の避難港的位置を形成していたことは明らかである。 神功皇后が敦賀から穴門へ向う途中若狭、加佐、與佐、竹野の海を経て、この地から円山川を遡り、粟鹿大神、夜夫大神、伊豆志大神、小田井縣大神を詣でた後一時、この地で兵食を備へたという。 |
銅鐸出土地 史跡 銅鐸出土地 この地 兵庫県豊岡市「当時城崎郡港村」気比字鷲崎の突端において 大正7年「1912年」9月15日港東小学校改築用の石材採取作業中に 東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸四個はわが 国の重要文化財として指定され 東京国立博物館に所蔵されている 豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため 昭和48年6月15日豊岡市文化財に指定した 今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し 気比地区とともに環境を整備したものである 社頭石碑 |
気比神社 社伝によると、和銅2年(709)の創祀。 神社から北へ少しの場所に、銅鐸出土地の史跡がある。 この地、兵庫県豊岡市(当時城崎郡港村)気比字鷲崎の突端において、大正7年(1912)9月15日港東小学校改築用の石材採取作業中に、東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸4個は、東京国立博物館に所蔵されている。 豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため、昭和48年(1973)6月15日豊岡市文化財に指定した。 今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し、気比地区とともに環境を整備したものである。 例祭は神輿・大檀尻1基・小檀尻1基・樽神輿1基の巡行がある。 神輿の宮出しは壇尻の橋渡し神事から始まる。境内に架かる宇上橋に壇尻が各神輿を出迎える。 壇尻の担ぎ棒に神輿の担ぎ棒を添えて、厳かに宮出しが始まるのである。川面に映る逆さ神輿は何とも云えぬ荘厳さに満ちている。 神輿は村内の御旅所3ヶ所を巡る。 大壇尻は新築の家庭を祝って巡り、午後には村の広場で勇壮な競い合いが披露される。 夕刻還幸惜しまれながら、神輿は担ぎ手の唄う伊勢音頭と共に宮入する。 兵庫県神社庁 |