白鳳12年閏4月、韓國連久々比が兵庫(兵馬や武器の庫)の守護として赤石の丘に祀った。 この地はかって非常な湿田地帯であつた。赤石の集落は山脚部の小さな谷に密集し、兵主神社はその谷の最奥部に、集落を見下ろすように鎮座している。 兵庫県神社では武内兵主神社と表記する。 |
潮垣 近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。 その昔のお話です。 毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。 ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。 しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。 そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。 完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。 りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。 村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。 村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。 「但馬の昔話2」 |