兵主神社
ひょうずじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】兵主神社 但馬国 城崎郡鎮座

   【現社名】兵主神社
   【住所】兵庫県豊岡市赤石1861
       北緯35度35分9秒、東経134度48分37秒
   【祭神】速須佐之男命
   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】白鳳12年(684)閏4月韓国連久々比が創祀
       明治6年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿春日造
       社務所

   【境内社】若宮社

白鳳12年閏4月、韓國連久々比が兵庫(兵馬や武器の庫)の守護として赤石の丘に祀った。
この地はかって非常な湿田地帯であつた。赤石の集落は山脚部の小さな谷に密集し、兵主神社はその谷の最奥部に、集落を見下ろすように鎮座している。
兵庫県神社では武内兵主神社と表記する。


潮垣

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。
その昔のお話です。
毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。
ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。
しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。
そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。
完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。
りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。
村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。
村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

「但馬の昔話2」



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