小江宿根命は山間に位置する当小邑が小湖を呈した第八代孝元天皇の御代に現在同市大字瀧にある瀧神社の祭神舵彦命とその部族の協力とによつて江野下の半坂南隅の岩を開削し滞水を排除し江野の開拓を行なつた。 |
由緒 創立年月は不詳であるが、大浜谷(大浜川流域で江野他五部落が位置する)では唯一の延喜式内社で、城崎郡二十一座の内、小社に列している古社である。史料を欠くため、往古の事は不明であるが、江戸初期の寛永年間、部落の大小により社殿を焼失、その後再建され、明治6年には村社に列したが、同43年1月7日、また、火を発して社殿烏有に帰し、大正2年、全村民の協力によって現在の総欅づくりの立派な社殿が再建された。 屋根は檜皮葺であったが昭和38年、銅版葺に葺替えられた。 なお、境内にある旧籠堂は、現在、部落の公会堂として利用されており、また境内入口の鳥居左奥には、昭和43年に兵庫県の天然記念物に指定された高さ30m、目通り4mの大ケヤキがあり、樹齢300年と推定されるが、樹勢極めて盛んで、春の新緑のころと秋の紅葉が見事である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
江野岩清水 矢次山(568m)中腹の岩場(舟ヶ谷)から湧き出ています。遠い昔から村人は「おいしい水」として誇りにしてきました。 岩場から小江神社まで約2Kmを江野区民で引き入れましたので、どうぞご利用下さい。 尚、この岩清水は消毒していません。 社頭掲示板 |
小江神社 創立年月は不詳であるが、大浜谷(大浜川流域で江野他五部落が位置する)では唯一の延喜式内社で、城崎郡二十一座の内、小社に列している古社である。史料を欠くため、往古の事は不明であるが、江戸初期の寛永年間(1624〜1643)、部落の大小により社殿を焼失、その後再建され、明治6年(1873)には村社に列したが、同43年(1910)1月7日、また、火を発して社殿烏有に帰し、大正2年(1913)、全村民の協力によって現在の総欅づくりの立派な社殿が再建された。 屋根は檜皮葺であったが昭和38年(1963)、銅版葺に葺替えられた。 なお、境内にある旧籠堂は、現在、部落の公会堂として利用されており、また境内入口の鳥居左奥には、昭和43年(1968)に兵庫県の天然記念物に指定された高さ30m、目通り4mの大ケヤキがあり、樹齢300年と推定されるが、樹勢極めて盛んで、春の新緑のころと秋の紅葉が見事である。 兵庫県神社庁 |