武烈天皇の命をうけて韓国に使した物部真鳥(マトリ)は任務を果して但馬の三島の水門(現在の楽々浦)に着き、都に上つて使命を復奏した。 真鳥はこの功績によつて韓国連を賜わり、以後物部韓国連真鳥と称したという。さらにその子、渚鳥(ストリ)は欽明天皇の時代に現在の飯谷付近を開発したといわれ、飯谷の名は墾谷から起こるという。天武天皇白鳳3年、物部韓国連鵠によつて祖父真鳥、父渚鳥がこの地に祀られた。 |
韓国神社 韓国神社者旧在当区字宮津明治四十二年十一月偶区内失火社殿及山■悉帰烏有■幸而神体者頼楽々浦岩崎石?得無事明年十一月区民一致建本殿上■■社堂高田伊織請宮昇格為幣帛供進指定神社昭和二年三月奥丹波際大震災及此地山林崩壊埋没殿宇無復旧茲於是遷社之議起社掌高田焉境内凡三百六十歩其二百三十余歩依左記奉納既得翌年二月■起工寄進氏子浄財且助役十一月告成今之社殿是也総工費七千余円其壱千四百円財之補助而専岩本吉兵衛之■斡旋也従者総七百余人於此得氏子始安堵永誓無災過建碑如是時昭和四年一月吉辰 城崎神宮山口新一郎謹撰並書 社頭石碑 |
韓国神社 当社は元々、飯谷川の上流、通称「森さん」と呼ばれる場所にあったがその後、現在地から700m奥の宮ノ下へ遷座。 昭和2年(1927)3月7日、奥丹後震災による山崩れにより社殿が全壊し、現在のシケ谷へ移転新築された。 近くには戸島湿地帯が広がり、コウノトリ人工巣塔には時折コウノトリが舞い下りる。 兵庫県神社庁 |