社伝によれば、白鳳14年(685年)に但馬国国司の榛原公鹿我麿(はいばらのきみかがまろ)が祖である大山守命を祀り、翌朱鳥元年(686年)に当地で収穫した山椒の実を絞って得た油を朝廷へ献上したという。 近世神社の神官は真言の山岳宗教の霊地である大岡山(椒の南約4Kmに位置する標高664mの山)の大岡寺別当が兼ねており、本地垂迩説による神仏混合の影響が顕著であつた。 |
㯮椒神社 鎮座地 竹野町椒字岩内1738番地2 (特選神吊牒) 椒村(城崎郡三椒村大字椒) (神祇志料) 今 椒村にあり 祭神 上詳 由緒 創立年月上詳なるも仁明天皇承和9年(西紀842年)官社に預り清和天皇貞観10年(西紀868年)従五位上に叙せられ延喜式(延喜5年、西紀905年)の制吊神大に列せらる中古以降所傳の明確を欠き明治6年村社に列し同22年本殿を再興し幣殿を新築せり。 (續日本後記) 仁明天皇承和9年冬10月 辛酉朔乙亥但馬國気多郡蜀椒神預官社 (三代実録) 清和天皇貞観10年12月27日丙午授但馬國従五位下椒神従五位上 (延喜式巻十 神名式下) 但馬國一百丗一座 大十八座 小一百十三座 気多郡廿一座 大四座 小十七座 ?椒神社 名神大 (特選神名牒)㯮椒神社 名神大 祭神今按蜀椒は今本ホソキとよめれど誤なり和名抄に蜀椒和名奈留波之加美一名上佐波之加美とみえたればハジカミとよむべし古事記にもくめのこらがきもとにうゑしはじかみくちひびくとありさて典薬式に但馬國蜀椒柏子仁各一斗とみえ今も朝倉山椒とて名物なり此乃椒村はことに其物のよく生ずる所なりけむ故に其土地に鎮ります神を㯮椒神と号けて祭れるものなるべし。 社頭掲示板 |
㯮椒神社 創立年月不詳なるも仁明天皇承和9年(842)官社に預り清和天皇貞観10年(868)従五位上に叙せられ延喜式(延喜5年、905)の制名神大に列せらる。 中古以降所傳の明確を欠き明治6年(1873)村社に列し同22年(1889)本殿を再興し幣殿を新築せり。 兵庫県神社庁 |
㯮椒神社のおまき桜 豊岡市竹野町の㯮椒(はじかみ/ほそき)神社に立つエドヒガンの巨樹で、市の天然記念物に指定されている。 幹周は6メートル以上に及ぶ県下屈指の巨桜で、推定樹齢は500年以上といわれる。 樹幹内部に空洞が見られるが、樹勢は旺盛である。 かつて麻の生産が盛んだったころ、麻を緒に使うことから、この地域では麻のことを「お」と言いっていた。 この桜の開花が、麻(お)の種を蒔く目安になっていたことから、「おまき桜」と呼ばれ親しまれている。 PHOTOGRAPH.PRO |