この地一帯がいつしか「八條」と呼ばれる様になり、当社が里界線の基点となつたらしい。 神仏習合は従来全く見られない。 |
雷神社 雷神社由緒 創立年月不詳なれど、文武天皇慶雲3年丹波但馬の国に山災ありしかば勅使を差遣され幣帛を奉しむ。承和9年官社に預かる。 後延喜式の制名神大社列せらる。 村上天皇の御代勅使門を建て勅使を迎え御田植え舞を奉納す。 光明院康永2年杉原伯耆守本殿を修理石高七斗二升五合他に田山林を寄進す。明暦2年五味備前守向拝を付し本殿を災再築し万治元年鳥居を現在地に移築す。昭和8年5月修復工事完了。 昭和43年3月兵庫県重要文化財指定さる。 社頭掲示板 |
雷神社本殿 県指定文化財 雷神社本殿 昭和43年3月16日指定 <五間社切妻造 三間社向拝付 桧皮葺> 神社の創立についてはつまびらかでないが、延喜式に列する古社であり、大雷神、須佐之男命、菅原道真の三柱をまつっている。 今の本殿は、明暦2年(1656)五味備前守豊直が大工服部清佐衛門に命じて再建したものであり、このことは棟札によって知ることができる。 妻飾りの細部手法などよく時代の特色をあらわしており、保存も良好で江戸時代初期の建造物として貴重なものである。 昭和51年1月 兵庫県教育委員会 社頭掲示板 |
雷神社 創立年月不詳 文武天皇慶雲3年(706)丹波但馬の2国に山災ありしかば勅使を遣して神祇に幣帛を奉らしめ給いし時、当社も亦其の幣帛に預りしものなるべし。 仁明天皇承和9年(842)官社に預り、清和天皇貞観10年(868)従5位上の進階あり。延喜式の制名神大となり醍醐天皇延喜22年(922)勅使の差遣ありと伝う。 村上天皇の御代又特使の発遣ありしかば勅使門を立つ其の故に4月朔日の田植式に勅使の参拝ありしとの口碑あり。 光明院康永2年(1343)杉原白耆守本殿階段を修理し且つ本殿覆を建立す。江戸時代明暦2年(1656)五味備前守本殿流造檜皮葺向拝を附して再築し、万治元年(1658)同人は荒神山岬にありし鳥居を天神山麓に移す。之より先、慶安5年(1652)領主杉原白耆守石高7斗2升5合、外に田及び山林を寄進せり。 明治維新後氏子の気多郡に属せる上佐野村を須賀神社氏子とし明治6年(1873)10月村社に列せらる。同26年(1893)上佐野村須賀神社を合祀して先に分離せる氏子の復旧を見たり。 兵庫県神社庁 |