本来の神の性格としては、聖岩に神が鎮座したという伝えや、地理的環境から、かつてこのあたりの生業であつた山仕事や焼畑を営んできた人々の、守護神的なものと自然神崇拝が混したものと思われる。 |
由緒 欽明天皇2年2月9日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年4月8日今の地に遷座された。承和9年官社に預り、貞観10年神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。 宝永3年本殿を建立し、さらに明治27年本殿を再建されたのが現在の本殿である。 明治6年10月村社に列し、同41年三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
祈雨祭 特殊行事としては祈雨祭(雨乞祭)がある。旱魃で農作業に仕障をきたすやうな場合に行なふ。いちばん最近では昭和53年に行なはれた。その様子を『神社調書』は、「山宮は北に大岡山を負ひ南面して開潤地たるが故に連年夏日稲田の水欠乏し水論あり此時村民約二百人は北山の聖岩に太鼓を持ち上り岩上に生育せる松に垂して打てば諸人異口同音に<雨給もれ曇れ給もれ立願だ>と和して発唱し約半日の祈願をなす。 式内社調査報告 |
御神木 朴の巨木 根廻り9.5m 古来山神社の御神躰は此の朴の木の謹作と言い伝えられ又大日本史神祇志に山神社今在山宮村稱厚朴大明神祀大山祇命と記してあって山神社と朴の木は因縁深きものあり 故に昔氏子は朴歯の下駄を用いざる風習であったと云い伝へられてゐる。 社頭掲示板 |
山神社 欽明天皇2年(540)2月9日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年(765)4月8日今の地に遷座された。 承和9年(842)官社に預り、貞観10年(868)神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。 宝永3年(1706)本殿を建立し、さらに明治27年(1894)本殿を建立し、さらに明治27年(1952)本殿を再建されたのが現在の本殿である。 明治6年(1873)10月村社に列し、同41年(1908)三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。 兵庫県神社庁 |
山神社 祭神、大山祗神。創建は欽明天皇2年(540年)、山宮と称せられる古社である。境内が道路わきの入り口より下にある珍しい下り宮の形式である。下に降りていくと、植生の大変豊かな社叢が大きく広がっている。市の天然記念物に指定されている。 ここに、立派な拝殿(入母屋造)と本殿(流れ造)が鎮座している。まず目に入るのは、唐風屋根の上にしつらえられた大きな獅子噛み、その下の兎の毛通しには、鳳凰が大きな羽を広げている。すぐ下の向背には、迫力満点の、左上方を睨んでいる竜が目に飛び込んでくる。またその上には力士が屋根を支えている。脇障子は、但馬地方に伝わる土蜘蛛退治がテーマだ。本殿は覆屋で保護され、彫り物はその当時の色彩を色濃く残していて飴色が美しい。ここにも獅子噛、力士、唐獅子、獏もいる。蟇股には戦う武人の姿のオンパレードだ。8代目中井権次橘正胤36歳頃の秀作である。 丹波新聞社2015年11月19日 |
山神社社叢 豊岡市指定天然記念物 山神社社叢 山神社社叢は、大ケヤキ三本、大カシ一本、大イチョウ一本をはじめ、ケヤキ、カシ、スギの樹木が六百坪に及びうっそうとしている樹勢も旺盛で壮観であり、保存する価値がある ケヤキ 根廻り6.4m、目通り幹囲5.2m 平成24年9月 豊岡市教育委員会 社頭掲示板 |