神門神社の謂れは、鵜濡渟命が初代の出雲国造であることから、出雲国神門にちなんだものではないかと想像される。 近世には神仏混合思想の影響で山王大権現と称していたが、明治3年に神門神社に復称する。 |
由緒 創立年月不詳なれども延喜式の制小社に列し天和4年本殿を修理し明治3年山王大権現の称呼を神門神社と改称し同6年10月村社に列し同33年瓦葺に屋根替したり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神門神社 名刹隆国寺 (曹洞宗) から指呼 (しこ) の間にある。 県道を少し下りたところに鳥居が見え、 その前には年月を経たと思える大きな石灯籠がある。 神社は前向きで、 手入れの行き届いた植栽の参道が本殿に続いている。 本殿は瓦葺入母屋造りである。 小ぶりななかにも存在感がある。 明治3年 (1870) に現在呼称されている神門神社 (かむとじんじゃ) となった。 創建時は不詳だが、 祭神は大国主命と他、 2柱であり、 現在の本殿は天保3年 (1832) に再建された。 向背に迫力ある骨太の竜がさっそく目に入る。 口を大きく開き、 宝珠を握り、 眼らんらんとして、 いらかを立てて、 迫力満点である。 木鼻には唐獅子と象 (ここでは獏ではない) がしつらえられ、 向背上部には長寿を表す鶴と海亀の、 また他の空間には猿が戯れているユーモラスな彫り物がある。 正面、 竜の裏面には、 「彫り物師丹州栢原町住人 中井権次橘正貞」 とある。 丹波新聞社2015年05月28日 |