佐久神社
さくじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐久神社 但馬国 気多郡鎮座

   【現社名】佐久神社
   【住所】兵庫県豊岡市日高町佐田68
       北緯35度27分7秒、東経134度44分20秒
   【祭神】手力男神 (合祀)息長帶比売命 品陀和気命 山祇命 奧津彦命
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】神武天皇9年冬10月創祀
       天正の頃(16世紀後牛)垣屋隠岐守降国築城し崇敬
       寛政11年(1799)7月26日神祇管領ト部良連の祀詞
       天保13年(1842)本殿再建
       明治3年佐久神社に復称
       明治6年郷社
       大正4年神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大川大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       幣殿・拝殿・社務所・籠堂

   【境内社】稲荷神社

室町時代末期に興つた吉田神道の影響を受け、近世には大川大明神、大川五社大明神と称するようになつた。寛政11年(1799)7月26日神祇管領ト部良連の祀詞によれば、このときに佐久神社へ大川大明神の霊代を迎えたという。


由緒

創立年月不詳にして楽前庄五箇村の開拓神と称す思ふに当社祭神に関しては國司文書に人皇1代神武天皇9年冬10月齋祀佐久津彦命於佐久宮とあり但馬神社探秘考、神名帳考證等には木花咲耶姫を配祀せるものならん延喜式の制小社に列し近世境内の山上に楽前城ありて垣屋隠岐守隆國城主として天正の頃まで本郡を領し当社を崇敬せしも垣屋氏滅亡後は自然舊観を損し社家退散し昔日の壮観なし、されども西気谷開拓の祖神と尊崇し春秋二季の祭日には各村とも参拝するの遺風今に残れり又寛政11年7月26日神祇官領卜部良連の祝詞によれば此時佐久神社へ大川大明神に霊代を迎へたるものの如し天保13年本殿を再建し明治3年佐久神社と復称す同6年10月郷社に列し同41年11月4日山祇神社、八幡神社、荒木神社、須賀神社を合祀し翌43年幣殿拝殿、を新築、昭和4年本殿の屋根替を行へり。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



佐久神社

創立年月不詳にして楽前庄五箇村の開拓神と称す 。
思ふに当社祭神に関しては国司文書に人皇一代神武天皇9年冬10月齋祀佐久津彦命於佐久宮とあり但馬神社探秘考、神名帳考證等には木花咲耶姫を配祀せるものならん 。
延喜式の制小社に列し近世境内の山上に楽前城ありて垣屋隠岐守隆国城主として天正の頃まで本郡を領し当社を崇敬せしも垣屋氏滅亡後は自然舊観を損し社家退散し昔日の壮観なし、されども西気谷開拓の祖神と尊崇し春秋二季の祭日には各村とも参拝するの遺風今に残れり 。
又寛政11年(1799)7月26日神祇官領卜部良連の祝詞によれば此時佐久神社へ大川大明神に霊代を迎へたるものの如し 。
天保13年(1742)本殿を再建し明治3年(1870)佐久神社と復称す同6年(1873)10月郷社に列し同41年(1908)11月4日山祇神社、八幡神社、荒木神社、須賀神社を合祀し同43年(1910)幣殿拝殿、を新築、昭和4年(1929)本殿の屋根替を行へり。

兵庫県神社庁



お酒と神さま

お酒は別名ササとも呼ばれました。えべっさんで用いる笹もお酒に由来しています。豊岡市日高町佐田にある佐久神社は、気多郡楽前郷(ササクマ)でもっと古くは佐々前県と呼ばれていた場所です。気多神社と並ぶ豊岡市日高町の古社ですが、この楽前はもっと古くは佐々原と呼ばれ佐田も神田として佐久神社にお供えする米と酒をつくる田に由来しているのではないかと考えます。

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