高負神社
たこうじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高負神社 但馬国 気多郡鎮座

   【現社名】高負神社
   【住所】兵庫県豊岡市日高町夏栗
       北緯35度28分19秒  東経134度44分46秒
   【祭神】白山比売命 菊理比売命
       矢集連高負命『日高町郷土史』
       武生宿禰『神社覈録』

   【例祭】10月7日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】朱鳥3年(688)高負の神を高田の丘に祀
       寛文3年(1663)白山比売命・菊々理比売命を白山より勧進
       明治3年高負神社と復称
       明治6年村社
       明治8年女人参拝禁止を廃止

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白山大権現」「白山神社」と称していた
   【社殿】本殿流造板葺
       拝殿

   【境内社】

標高224mの秋葉山山上に立地する。
中世には両部神道となつて高負の社号を改め、白山神社、白山権現と称した。明治3年以後は神仏分離によつて高負神社と復称されるようになる。明治6年村社に列せられ、明治8年女人参拝禁止を廃止する。


高負神社

創立年月不詳
延喜式の制小社に列し、中古白山大権現と称せしも明治3年(1870)高負神社と復称して遷宮を行い、同6年(1873)10月村社に列し同8年(1875)女人参詣禁止の風習を廃したり。

兵庫県神社庁



高負神社

大字夏栗村 式内村社 高負神社(俗に白山神社もしくは白山権現と云う)
祭神 矢集連高負命(やづめのむらじたかふのみこと)
当社は延喜式内の古社にして中古より両部神道と為り、高負の社号を改め白山神社 白山権現など称せしも、明治3年太政官布告に基づき、旧称に今高負神社とす。当村65戸の鎮守神にして俚人の崇敬甚だ厚し。まことに往昔より武神として代々の領主の信仰浅からず、神帛を給いて之を祀れり。
人皇41代持統天皇の朱鳥3年、進大弐 忍(海部(おしぬみべ)の)広足、多遅麻の大穀と為るや、久斗の兵庫鎮護の神として久刀及び兵主の神に兵庫の側に祀り、高負の神を高田の丘に祀り、大売布の射楯丘に祀り給ふとあり。
「但馬国式社鎮座考」には、高負神社 百済王仁或いは大己貴命(おおなむちのみこと)の太多庄大岡大明神也。白山大明神 太多庄夏栗座云々。(中略)
又、式社道志留弁には、高負神社 夏栗鎮座、白山社と云う。貞観9年大和国正六位上 高生神社従五位上などと出たり。高生の元の高負の文字を充て用いし事は明かなるも、祭神に至っては大己貴と云い、百済王仁、或いはその末裔と云い之を証するに途なし。

日高村郷土誌



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