中ノ郷集落の中心部より東方200mの場所にある。背後が小高い丘となつていて、中ノ郷を一望のもとに見わたせる。 |
葦田神社 あいたっつぁん「足痛の神」の由来 このあたりは、大昔湖の底であったのを一宮さん(天日槍)が津居山を開かれ、湖の底はだんだんと美しい田んぼに代わっていきました。一宮さんはその開けていく美田が一目で千石見渡せるところに屋敷を定めようとお考えになり、ご家来のあいたっつぁんにその場所を探してくるようにお命じになりました。 あいたっつぁんはあちらこちらお探しになったすえ、中郷の地に今の国府から日高にかけて一目で千石の土地が見渡せる場所をお見つけになりましたが。その土地がすばらしく気に入ってしまったので、ご主人の一宮さんに報告するのが惜しくなり、自分の屋敷に貰おうと思われて、ほかの所を報告され、お屋敷はその所に定められました。それから月日が立って、ある日一宮さんは、あいたっつぁんをつれて但馬の各地をお見回りになりました、そして狭間坂をお通りになりますと、目の前に一千石のすばらしい美田が開けて見えました。 一宮さんはこんなすばらしい所があるのに、あいたっつぁんが報告されなかったばかりか、それを自分の屋敷にしようとしておられたことをお知りになり、大変お怒りになりなって、いきなり剣を抜いてあいたっつぁんを切ってしまおうとなさいました。あいたっつぁんは大変びっくりされ、思わず飛びさがられましたが、剣はあいたっつぁんの足を傷つけ勢いあまって傍らの岩を切りつけました。 あいたっつぁんは「アイタ!」と云ってその場をお逃げになり、山の中で傷の養生をなさいました。一宮さんは一時大変お怒りになりましたが、後になって気の毒なことをしたと反省なさってあいたっつぁんをお許しになり、その土地をあいたっつぁんに賜りました。あいたっつぁんは大変お喜びになり、そこに屋敷をお建てになって、足を痛めて苦しんでいる人々をお救いになりましたので、人々は「あいたっつぁん」と呼んであがめました。それからそのあたりは「アイダチ」と呼ばれ、また一宮さんが切りつけられた岩は切岩と呼ばれるようになりました。 「あいたっつぁん」と呼ぶのは足をお切られになったとき、「アイタ」と呼ばれたからだと伝えられています。 社頭掲示板 |
葦田神社 創祀年代は不詳。 鎮座地の背後の山を、愛痛山と呼び、愛痛大明神とも言われている。 祭神は、天麻止都袮命。異説として、天目一箇神。伝承としては、当社祭神は天日槍の随神であるという。 天日槍が当地を開き、眺望の良い場所に宮を建てるため、当社祭神に命じて、国内の見分をさせた。当地に到った祭神は、その眺望の良さに自分の屋敷を立てようと考え、天日槍には、別の場所を報告した。 その後、当地に来た天日槍は、祭神の嘘に怒り、祭神を切りつけた。足を傷めた祭神は、「アイタ」と叫び、山に逃げ込んだ。 後日、天日槍は祭神を許し、当地を賜り、祭神は感謝して屋敷を建て、足を傷めた人々を救済したという。 天日槍の随神である祭神の名は不明だが「アイタ」と叫んだ祭神は「あいたっつぁん」と呼ばれるようになった。 兵庫県神社庁 |