元同村字地主に鎭座していたが享禄年間(1528−32)の大洪水で社殿が流出したために現在地に移転した。古来九社大明神と称していたが明治以後小坂神社と称するようになつた。旧地は宮屋敷と称されている。 『兵庫県神社誌』によれば大正11年祭神を天火明命に確定するよう出願したが、それに係る確証なしということで、内務省と協議の結果、小坂郷開拓に最も関係深い小坂神に決定した。 |
由緒 天平19年の創立と伝へ元同村字地主と称する地に鎮座せしが享禄年間大洪水のため社殿流失せるため現社地に移転改築せりと伝ふ今尚舊社地附近を宮屋敷と云へり当社は小坂郷九ケ村の総社と云ひ古来小坂神社九社大明神と称せしを明治以降小坂神社と称し明治6年10月村社に列せらる同39年拝殿を新築せり由来当社は祭神未詳と明細帳に記入ありしも大正11年祭神確定の義を出願せしに忍坂連の祖天火明命に係る確證なしとの理由に依り内務省と協議の結果小坂郷開拓に最も関係深き神なれば小坂之神と決定奉祀すべき旨にて許可せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
小坂神社 天平19年(747)の創立と伝へ元同村字地主と称する地に鎮座せしが享禄年間大洪水のため社殿流失せるため現社地に移転改築せりと伝ふ 。 今尚舊社地附近を宮屋敷と云へり当社は小坂郷九ケ村の総社と云ひ古来小坂神社九社大明神と称せしを明治以降小坂神社と称し明治6年(1873)10月村社に列せらる同39年(1906)拝殿を新築せり 。 由来当社は祭神未詳と明細帳に記入ありしも大正11年(1922)祭神確定の義を出願せしに忍坂連の祖天火明命に係る確証なしとの理由に依り内務省と協議の結果小坂郷開拓に最も関係深き神なれば小坂之神と決定奉祀すべき旨にて許可せらる。 社頭掲示板 |