初め坪井村に鎮座せられ、その後毘沙門町の丘上に遷座せらる。 初めに鎮座したと伝えられる坪井は、坪井彌生遺跡・坪井群集墳・坪井横穴遺跡などが分布し、また條里型地割も密に遺存した開発の古い地区である。 |
由緒 神社創立の年代は、あまりにも古代に遡るため明らかではありませんが、式内神社として、平安時代の延喜式神名帳に登載されているところから、少なくとも千百年以前には、この地に鎮座され、人々の崇敬と参詣により祭儀が盛大に執り行われていたと推定されます。祭神は、この出石の地を拓き、国造りに貢献され、偉大な功蹟をのこし、あまたの信望をあつめられた、天日方奇日方命を祀るといわれ、古来より、五穀豊穣、家内安全の祈願がなされ、人心不安な時代に遇っても、祭事は絶えることなく今日に及んでおります。 時代の推移や社会の変遷に伴い、商業繁栄や交通安全の祓い多岐多様な様相をもたらしておりますが、いつの時代にあっても、産土大神(氏神様)として、初宮詣り、七五三詣りなど、子等のすくすくと育ち、立派な成長を願わない時はありません。 さて、天明年中ですので今から二百年程前の事、谷山で大火が発生した際には、時の城主仙石公が出馬され、当社頭で消火の指揮をとられたということです。火は折からの烈風に煽られて燃え拡がったところ、いかなる御神威か、社殿屋上より大雨が降り注ぎあたり一帯の火は消滅したと伝えられます。 現在の神殿は、昭和九年に、氏子崇敬者である、一瀬粂吉氏により、一建立されました。新築の神宮造りとして、社殿は木の香も高く堅実美麗なたたずまいを誇っています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
石部神社 「石部神社」の由緒 石部神社は、御祭神を「天日方奇日方命」と申して延喜式神名帳(1100年前)に記載されている由緒のある神社です。 その神前には、ご神木の大ケヤキがそびえています。 この木の樹齢は一千年といわれ、幹の周囲は8m、高さ30mあります。 長年の風雪に堪えて幹には苔を帯びています。 「健康長寿」「幸福安全」を願って、昔から「幸の大ケヤキ」と呼ばれています。 境内には「皇大神宮」と「天満宮」がまつってあります。 社頭掲示板 |
石部神社 創立年不詳。 延喜式神名帳に登載される。 天明年中(1781〜1788)、谷山で大火が発生した際、時の城主仙石公が出馬され、当社頭で消火の指揮をとられたということである。火は折からの烈風に煽られて燃え拡がったところ、いかなる御神威か、社殿屋上より大雨が降り注ぎあたり一帯の火は消滅したと伝えられる。 現在の神殿は、昭和9年(1934)、一瀬粂吉氏により建立。 境内には県内でも数少ない神木「幸の大けや木」がある「ひょうごの巨樹・巨木100選」のうち、毎年5月4日「けや木祭」を行う・ 大祭には御神輿が氏子中を回る。 兵庫県神社庁 |