安牟加神社
あむかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿牟加神社 但馬国 出石郡鎮座

   【現社名】安牟加神社
   【住所】兵庫県豊岡市但東町虫生267
       北緯35度30分41秒、東経135度0分24秒
   【祭神】天穗日神
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】承和15年(848)8月創祀
       享保16年(1731)9月23日本殿再殿
       明治6年10月村社

   【関係氏族】安牟加首
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「聖大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・歌舞伎舞台

   【境内社】稻荷神社・三柱神社

承和15年(848)8月、安牟加首虫生を出石主政に任ず。安牟加首虫生其祖物部十千根命を虫生の丘に祀る。之を安牟加神社と云う。「但馬国司記」
また、丹波国天田郡・奄我神社から分祀したとの説がある。


農村歌舞伎舞台

兵庫県指定文化財
安牟加神社 農村歌舞伎舞台
農村歌舞伎舞台は近世から近代にかけて、庶民の厚い共感に支えられた文化施設だった。
 農村へ歌舞伎が浸透しはじめるのは江戸時代初期で、18世紀に入ると地芝居が農村でも上演されはじめる。寛政11年(1799)江戸幕府は芝居禁止令を出し、「神事祭礼の際とか虫送り・風祭りなどの名目で芝居・見世物のようなことを催して見物人を集め、金銭を費やしているのでそのようなことは一切してはならない」として歌舞伎関係者の入村や遊芸・歌舞伎・浄瑠璃・踊り類も厳しく禁止した。
 地芝居を催す主体は基本的に村の青年組織である場合が多く、この若者たちが次第に禁令を犯して芝居を強行するようになっていく。但馬では関宮町葛畑座、日高町堀の手邉座、但東町の虫生座などが知られている。
 かつて但馬地方は農村歌舞伎が盛んで、どこの地区にもこの舞台があったが、現在では舞台の老朽化に伴い急激に減少している。町内では十八棟の農村歌舞伎舞台が現存しているが、最盛期にはその倍近い四十棟弱であったと推測される。
 本町では江戸時代末期から明治時代にかけて盛んに建てられ、神社の境内などで地方廻りの役者一座や農民自身が歌舞伎などを上演して大人気を博していたようである。
 本農村歌舞伎舞台は「撥転がし」や「遠見機構」、「上段舞台」などさまざまな仕掛けが工夫されており、文化財的にも但馬地方に残る歌舞伎舞台の代表的なものとして貴重である。
舞台の構造
●桁行/6665mm ●梁間/4490mm ●軒高/4415mm ●軒の出/1210mm  ●屋根勾配/0.50 ●瓦葺(本来は茅葺) ●舞台の高さ/約790mm
常設の上段舞台
●桁行/3120mm ●梁間/1705mm ●高さ/450mm
※前面框に障子か襖の溝が二本彫られている。
遠見機構
 上段舞台の背面に蔀戸のように上下二つ折になっている。遠見と呼ばれる芝居の背景が提げられる装置であるが、借景として正面に東里ヶ岳全体が美しく見られるように配慮されている。
撥転がし
 舞台の床が前方観客に向かって緩傾斜し、観客に演劇効果を考慮したものである。
墨書痕
 文久元年仲夏25日若狭藩中石井某
建立時期
舞台壁面に残る墨書痕から文久元年(1861)以前と考えられる。
平成15年3月
但東町教育委員会

社頭掲示板



安牟加神社

創立年月不詳。
 延喜式の制小社に列し享保16年(1731)本殿を再建せり。
 明治6年(1873)10月村社に列し同42年(1909)上宮、神明の両神社を合祀せり。

兵庫県神社庁



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