社伝によると、応神天皇40年の創祀。一説に、神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時。山の中腹の高い場所に祀った。 『但馬考』は三代実録にあらわれる菅神を当社のこととしている。 当地は天日槍系の神社が多く分布する一帯であって、当社もその系列の一つだと考えられる。 中世当社付近は石清水八幡宮領となり菅庄と称した。この時代に、八幡神を合祀したという。 |
須義神社 応神天皇40年(309)の創立と伝え清和天皇貞観10年(868)従5位下に叙せられし菅神は当社の事にして延喜式の制小社に列し文永年間(1264〜1274)修理田を有し神田6町2反ありき。 吉野朝時代当社附近は菅庄とて八幡宮領となり八幡宮をも併せ称したり。降って江戸時代宝永元年(1704)本殿を建立し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。大正4年(1915)拝殿を新築し、同13年(1924)社務所を新築し郷社に昇格せり。 兵庫県神社庁 |