須義神社
すぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】須義神社 但馬国 出石郡鎮座

   【現社名】須義神社
   【住所】兵庫県豊岡市出石町荒木273
       北緯35度27分54秒、東経134度50分27秒
   【祭神】由良度美神
       『神名帳考證』多遲摩母呂須玖神
       『但馬國神社燈明記』須義毘古命
       『國司文書別記』須義命
       『但馬神社重寶記』須義芳男命ならびに荒木帯刀部命
       『特撰神名蝶』饒速日命

   【例祭】10月10日 秋祭り
   【社格】旧郷社
   【由緒】応神天皇40年創立
       貞観10年12月21日従五位下
       寛喜2年(1130)神社文書
       文永8年(1271)神社文書
       弘安8年(1185)神田六町二反『但馬国大田文』
       永和元年(1375)菅御庄八幡宮
       宝永元年(1704)造営
       明治6年村社
       大正13年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「菅八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造銅葺
       拝殿・神饌所・籠堂・手洗所・社務所

   【境内社】稻荷神社

社伝によると、応神天皇40年の創祀。一説に、神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時。山の中腹の高い場所に祀った。
『但馬考』は三代実録にあらわれる菅神を当社のこととしている。
当地は天日槍系の神社が多く分布する一帯であって、当社もその系列の一つだと考えられる。
中世当社付近は石清水八幡宮領となり菅庄と称した。この時代に、八幡神を合祀したという。


須義神社

応神天皇40年(309)の創立と伝え清和天皇貞観10年(868)従5位下に叙せられし菅神は当社の事にして延喜式の制小社に列し文永年間(1264〜1274)修理田を有し神田6町2反ありき。
 吉野朝時代当社附近は菅庄とて八幡宮領となり八幡宮をも併せ称したり。降って江戸時代宝永元年(1704)本殿を建立し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。大正4年(1915)拝殿を新築し、同13年(1924)社務所を新築し郷社に昇格せり。

兵庫県神社庁



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