日出神社
ひでじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】日出神社 但馬国 出石郡鎮座

   【現社名】日出神社
   【住所】兵庫県豊岡市但東町畑山329
       北緯35度29分18秒、東経134度59分35秒
   【祭神】多遅摩比泥神
   【例祭】10月9日 秋祭例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創建年代不詳
       宝永元年(1704)社殿修復
       享保11年(1726)拝殿建立
       明治3年社殿を現在地に移す
       明治6年村社
       明治21年社殿修繕のため遷宮
       昭和45年6月17日本殿が国の重要文化財に指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとの鎮座地不詳

        明治3年社殿を現在地に移す

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「日出大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       舞殿

   【境内社】稻荷社

明治3年現在の神体に改めるまでは石地藏がご神体であつたとし、またそれ以前百年ほど前までは鎧着の神像であつたとする。
境内は、恒良親王旧蹟の地。


日出神社本殿

文化財の指定
 本殿は室町時代末期の様式技法をよく伝えているとして、昭和38年に兵庫県指定文化財となり、昭和45年6月に国指定の重要文化財となった。国の文化財保護審議会において「日出神社本殿は庇部分に後世の改造部分が多いが、手挟、蟇股など細部は当初材を残し、兵庫県における室町時代末期の三間社流造本殿の一例として保存すべきものと考える」と評価されている。
建造物の概説
 本殿の建築は三間社流造という。建物は構造上円柱で囲んだ区画を身舎といい、その全面を庇という。身舎は内・外陣に区画されており、外陣正面開放、内陣正面は幣軸構で板扉を建てている。庇は一面の浜床で正面の柱間は身舎同様に開放で、建物の両側面および背面は板壁、正・側面の三方には縁がある。構造からみると浜床が見世棚造風であり、身舎正面の柱間が開放であることなどは、この建物特有の形式として稀少価値がある。柱上の組物は身舎が舟肘木で妻組も豕叉首の簡素なものであり、庇は出三つ斗に手挟を組み、中備には蟇股を置き、これらの彫刻に室町時代末期の特色を見ることができる。軒廻りは二軒で本繁垂木、破風板の曲線は桁の辺りで折れたような強い曲率を描いて形式の古さを表しているが、妻飾りの猪目懸魚は輪郭に火焔形の尖頭を付けた珍しい意匠である。屋根はこけら葺で箱棟の鬼板は江戸時代中期の修理の際のものであるが、この鬼板が取り付けられる以前の本殿屋根は野地の納まりなどから推測して茅葺であったかも知れない。
沿革
 日出神社は但馬神話で出石を中心とする但馬地方を治めた天日槍の四世「多遅摩比多訶」を祭神とする。神社の創立は明らかでないが、延喜式に但馬国出石郡の小社と記された式内社である。現本殿の建立は、建築の様式技法から考察して室町時代末期の16世紀初頭と考えられ、その後、宝永元年(1704)、享保11年(1726)、明治21年(1888)に修理したことが棟札によって知られる。解体修理は昭和48年10月に着手し、翌昭和49年11月に工事を完了している。構造様式は旧規を踏襲し、後世改変された箇所は資料にもとづいて復旧し、覆屋も撤去して当初の姿に修復された。
但東町教育委員会
平成14年3月

社頭掲示板



日出神社

創立年月不詳
 延喜式の制小社に列し享保11年(1726)拝殿を建立し宝永元年(1704)社殿を修復せり。
 明治3年(1870)社殿を現在地に移し同6年(1873)10月村社に列せらる。同21年(1888)遷宮を奉仕せるは社殿修繕の為なり。

兵庫県神社庁



日出神社

兵庫県豊岡市但東町「たんとうちょう(城下町の出石町いずしちょうの東にある)」には国の重要文化財の「日出神社(ひでじんじゃ)」がある。この神社は式内社であり、室町時代の建築物である。但馬神話では出石を中心とする但馬地方を開いた天日槍(あめのひぼこ)四世の多遅摩比多詞(たじまひだか)を祀っている。本殿は三間社流造りで内部の蟇股(かえるまた)は日出神社独特のものである。神社の創立は明らかでないが建築技法から室町末期の16世紀のものと考えられ、その後宝永元年(1704)、享保11年(1726),明治21年(1888)に修理された事が棟札で知られている。

綾部の文化財日誌



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