崇神天皇11年に道主命と比奈良岐が談合して大巳貴命・少彦名命を祀る社を創建したことにはじまるとする。しかし、『但馬国司文書』(『但東町誌』所収)をみると「天平19年(747)春3月佐々貴山君大佐々伎を出石小領に任ず。下村主を東里出石主帳となす。佐々貴山君は其祖大彦命を佐々貴山に祀る。大佐々伎神社という。」。また「延暦3年(784)夏6月佐々山君波佐磨を出石大領に任じ、葛井宿禰比遅磨出石主帳に任ず。佐々貴山君波佐磨は其祖佐々貴山命を射坂之丘に祀る。小佐々貴神社という」ともみられる。 佐々伎神社は 「なんじゃもんじゃの木」という異名も持つ 鹿の子木(かごのき)をご神木としている。 |
佐々伎神社 當式内縣社佐々伎神社ハ但馬國開拓ノ祖神少彦名命ヲ祭祀セル神社ニシテ雀岐庄雀岐ニ鎭座シ、同庄拾参ケ村ノ産土神ニ立給フ。往昔此神以鷦鷯羽爲衣随湖水以浮到ト古記ニ見エタリ。故ニ此地ヲ佐々木ト呼フ。社高橋郷貳拾箇部落ノ中央ニシテ孝元天皇ノ皇子大彦命ノ裔出石郡ノ大領高橋臣及同族佐々木山ノ公代々ノ居住地タリ。高橋臣其祖大彦命ヲ合祀シテ二宮明神ト称ス。 社頭石碑 |
佐々伎神社 古い資料には、雀岐大明神、雀岐社と記されており、二宮大明神とも称される神社で、式内社・佐々伎神社に比定されている古社。 崇神天皇11年(BC87)、道主命と比奈良岐が談合して大己貴命と少彦名命を祀る社を創建したのが当社のはじめ。 一説には天平19年(747)3月出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を佐々貴山に祀ったのがはじめであるという。 また、桓武天皇延暦3年(784)6月出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻がその祖・佐々貴山命を射坂之丘に祀ったとも。 さらに、但馬国開拓の祖・少彦名神を祀り大彦命の裔である高橋臣および同族の佐々木山公の居住地であったため、祖神大彦命を合祀して二宮明神と称したとも。 二宮と称した理由について「出石藩舊記」には、雀岐大明神(佐々伎神社)と須流大明神を一社にまとめて二宮大明神としたと記されている。 兵庫県神社庁 |