『古事記』では和那美(わなみ)の水門に網を張って鵠を生け捕ったとあり、和那美の候補地は各地にあるが、円山川に近いこと、神社がある場所が網場という地名であること、和奈美神社のワナが罠にも通じることなどから、有力な候補地とされている。 垂仁天皇23年皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)は30歳になっても口をきかなかったが、クグイ(白鳥)がとぶのをみてはじめてはなすことができた。天皇は大いに喜び天湯河板挙は天皇の命でその鳥を和那美の水門に網を張り捕らえて献上し、その功により氏姓をさずかり鳥取造と称した。 この地は古来、鳥取部の民の住む所であった。天湯川田奈命の「湯」とは鉄や銅の溶解して流れる状態をさし、鳥取部は金属精錬に関わったと推定されている。 |
和奈美神社 垂仁天皇の御代和奈美の水門の故事によりて創立せられし社なりと伝う。 延喜式の制小社に列し、明治6年(1873)10月村社に列せられ明治28年(1895)拝殿を新築せり 兵庫県神社庁 |